木津宗詮11月23日2 分新米子どもの頃に母親が食事の時に「今日は新米やで」と特に言われた時、なにかとても嬉しく、美味しいご飯を食べたことを思い出します。「古米」という言葉を久しく耳にしなくなりました。美味しいコメのなる稲の品種改良が進み、またその保存の技術が向上し、また美味しいご飯を炊くことのできる炊...
木津宗詮11月16日1 分最高敬語あそばされるは「する」、有らせられる「居る」、おかせられる「於く」、賜う「する、与える」です。 これらは最上級の尊敬表現で、天皇や皇族に対してのみ用いられる最高敬語です。戦前は一般的に用いられていた敬語表現で、戦後は一部を除き廃れてしまいました。...
木津宗詮11月14日1 分吹寄吹寄とはさまざまな木の葉が風でひとところに吹き寄せられるさまに見立てていうことばです。 また、色づいた木の葉などをかたどった落雁(らくがん)・雲平(うんぺい)・有平糖(アルヘイとう)などの干菓子を取り合わせ、いかにも風に吹き寄せられた風情で菓子器に盛ったもにも使います。...
木津宗詮10月24日1 分菊水天皇家の紋は「十六八重表菊」です。公式に天皇家の紋とされたのは明治2年の官布告によります。親王家の十六葉菊花紋の使用を禁止し、十四葉・十五葉以下あるいは裏菊などに替えることとしました。明治4年には皇族以外の菊花紋の使用が禁止されました。ちなみに慶応3年に提灯・陶器・貢物など...
木津宗詮10月23日2 分10月22日 稽古場の床本日の掛物は、松平不昧公の賛になる狩野伊川院の槙立山を掛けました。名残ということで宗全籠に秋草種々をいれました。 淋しさハその色としも なかりけり槙立山の 秋の夕くれ(印) この歌の作者寂蓮は。淋しさというのは特にその色で感じるわけではなく、槙が立つ山の秋の夕暮れに感じると...
木津宗詮10月23日3 分10月23日 稽古場の床本日は旧暦9月9日重陽です。重陽は菊の節句として菊の着せ綿や、菊酒などで一般的です。 重陽では登高(とうこう)という厄払いも行われました。登高とは重陽の日に山に登って災厄をはらう行事をいいます。そのはじめは中国清代に書かれた北京の年中行事を記した『燕京歳時記』に、...
木津宗詮8月27日8 分跡見花蹊と得浅斎の交流『跡見花蹊日記』には、茶の湯以外での花蹊と得浅斎との交流が多く認められている。文久元年(一八六一)の六月十五日の項には、次のような記述がある。 私、木津さまへ参り、お千枝さまの舞ノ地 致し、暫遊んで帰り候 お千枝とは明治十二年(一八七九)に亡くなった遊心と考えられる。この日...
木津宗詮8月19日1 分8月16日の稽古場の床今日の稽古の掛物は江戸初期の公卿飛鳥井雅章(あすかい・まさあき)の短冊「夏草」です。花は芙蓉と矢筈薄をタイ土産の籠に入れました。 夏草 しけるとてはらひし庭の夏草は なへての秋の花にをくれむ 雅章 生い茂るので切り払うけれども、夏草は次から次へと生えてくるので秋の草花よりも...
木津宗詮8月3日4 分8月2日 稽古場の床昨夜の稽古の床は平瀬露香筆になる短冊「夏月易明」。花は時計草を瓢籠にいれました。 夏月易明 うたゝねに其すゝしさをみる程も 月におくれて覚る夢哉 貞英 夏の月が涼しい光を放ちます。夏の夜は短く、うたた寝をしている間に夜が明けてしまい、あっという間に夢から覚めてしまいます。...
木津宗詮8月3日2 分夏の月江戸時代後期の公家芝山持豊(もちとよ)の短冊「夏月」です。 夏月 寝て明かす人やなからん夏の夜は 涼しき月の影に浮かれて 夏の夜を寝て明かす人なんかいないでしょう。涼しい月の光に心も浮かれるから。 通常、和歌では単に「月」という題は秋の月のことです。他の季節の月は「夏月」と...
木津宗詮7月6日1 分7月6日 稽古場の床2夜の稽古の床は、飛鳥井雅威賛になる土佐光貞の梶鞠図を掛けました。極彩色の色絵ということで、花は書院に飾り、菖蒲と萩・紫陽花・矢筈薄を時代の置籠に入れました。 幾千世の秋も かはらし 天河 こよひ あふせの 庭の梶鞠 雅威...
木津宗詮7月6日1 分7月6日 稽古場の床1お昼の稽古の床は、江戸時代前期の江戸幕府御用絵師狩野常信の牽牛織女図です。 狩野尚信の子で木挽町狩野家2代目。はじめ父尚信に画を学び、父没後は狩野探幽に師事したとされています。江戸城や禁裏なの障壁画制作に参加し、紫宸殿の「賢聖障子」わ描き、幕府が朝鮮国王や琉球国中山王に贈っ...
木津宗詮6月22日1 分斑唐津茶碗 山端武者小路千家10代以心斎の銘「山端」茶碗です。金継ぎが施され、それが景色となった沓形の斑唐津です。 箱には、 五月雨ははれんとやする 山端の かゝれる雲のうすくな りゆく 守(花押) と花園院の和歌が認められています。 天保6年(1835)に9代好々斎が無嗣で41斎で亡くな...
木津宗詮6月13日2 分ホトトギス大綱和尚の懐紙「郭公(ほととぎす)を待つ」です。 待郭公 前大徳寺大綱 きかはやと 誰もまつらん 郭公 夏立つ日より 鳴物にして ホトトギスは、知ってる限りでは、杜宇、杜鵑、時鳥、子規、不如帰、蜀魂、田鵑などたくさんの異名があります。ウグイスの巣に自分の卵を産んで育てさせる...
木津宗詮6月8日1 分6月8日 稽古場の床 2江戸時代後期の公家千種有功の「蛍」の詠草を掛けました。床柱に鉄仙と蛍袋を蛇籠。 正三位有功 とふほたる舞 しと はかり見すく すハ おもひなきみの うへにこそ あれ
木津宗詮6月8日1 分明治天皇胞衣塚明治天皇は嘉永5年(1852)11月3日にお生まれになりました。陰陽頭土御門晴雄が勧申して10月2日に御所の真東、帝王の方角である吉田神社大元宮脇に密かに埋納されましたた。健やかな成長を祈り、天皇の御胞衣・胎盤を白絹で包み、へら 一対、青石二個、ごまめ二、を添えてここに埋納...
木津宗詮6月6日1 分ゴイサギ天皇が日常お使いになる御常御殿(おつねごてん)である清涼(せいりょう)殿に昇殿を許され、天皇に近侍する人は、「五位」以上の官位を受けた人です。 ゴイサギは、『平家物語』によると、醍醐天皇が御所の庭で鷺を従者に捕まえるように命じました。すると鷺が逃げようとしたので、「宣旨(天...
木津宗詮6月5日1 分6月3日 稽古場の床江戸時代後期の公家千種有功の二首詠草を床に掛け、時代の置籠に五月梅と金糸梅・下野草・蛍袋・皐月を入れました。 有功 夏祝 石上ふるのわさ田もにきはひて としあるみよのさなへとる也 五月雨 玉たれに残るあふふのかれはさへ うるひにけりなさみたれのころ