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執筆者の写真木津宗詮

ワイングラス

かつて青山のリーデル・ワインブティツクでテイスティング・セミナーに参加しました。

グラスの形でワインの味が全く違うものになるということを教えてもらいました。それまでも知識としては知っていたつもりです。ただ、今回は味音痴の私にもグラスで味が全く違うものになることがとてもよくわかりました。本当に勉強になりました。

さて、茶の湯でも味と香りを大切にすることはワインと何ら異なるものではありません。

利休さんの昔から茶碗を大切にすることは、長次郎を指導して楽茶碗を創造したことでもわかります。ただし、ワインを飲むにあたりリーデルがグラスを作るほど厳格なものではありません。均一の茶碗を評価するのでなく、世の中にひとつだけの茶碗を評価するのが茶の湯の器に関する考えで、ここがワインとお茶の違いだと感じました。

基本的には上手く濃茶が練れることに力点をおき、その上で造形や焼き上がりなどが重要です。だから茶碗はまさに十人十色です。

なお、中世に流行したお茶を飲み当てるゲームである闘茶は同じ天目茶碗で行われていました。できるだけ条件を同じにして飲み分けたのは、まさにワインに通じるように思います。

茶の湯では、茶碗や他の道具は芝居の小道具であり、茶室は舞台、亭主は役者で客は観客です。そして亭主と客は一体となり、一碗の茶を通じて一期一会の直心の交わりが目的であるところが根幹です。ここが大切なところです。

昨今の茶の湯は私も含め、器に振り回されすぎているようです。器も大事ですが、なにより心が大事だということを改めて実感しました。

ちなみに、その日はセミナーも含め8時間にわたりお酒を飲みました。今となってはどれほどの分量を飲んだかは不明です。結局、酒に賎しい輩はなにを飲んでも途中からはみんな同じです。味についてはなにもいえた立場ではありません。



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