三猿堂 伊木三猿斎は幕末の備前岡山藩の筆頭家老で、三猿斎は号で、名を忠澄といいました。茶の湯を速水宗寛(そうけん)に師事し、虫明焼(むしあげやき)を創始し、吉備団子の発案者でもあります。現在、大徳寺三門金毛閣の厨子の中の利休の木像の首を所持し、自身の屋敷に利休堂を建ててそこで祀っていました。死後、未亡人が木像の首を大徳寺に寄進し、新たに胴体を造り、今日見る姿になったのです。 岡山の伊木家の菩提寺少林寺には3代聿斎宗泉の好みになる茶室「三猿堂」があります。二畳台目向切の構えで勝手付の壁に二重の釣棚がつけられ、客付に中柱を立て袖壁があります。貴人口と蹲踞口があり、床勝手付の斜めの壁に花頭窓(かとうまど)が開けられ三猿斎の木像が祀られています。軒には池田家の菩提寺である曹源寺住職の円山要宗の筆になる扁額が掲げられています。なお、円山要宗はのちに妙心寺派から大徳寺派に転じ、大徳寺488世、大徳寺派6代管長、大徳寺僧堂師家に就任しています。道号がは全提、諱は要宗、室号は伝衣室と号しました。
本堂には位牌が祀られています。そして境内には三猿斎の墓があり、側面に戒名と辞世が刻まれています。生前に三猿斎の好みで作られたそうで手水鉢は三猿斎の好みの瓢箪が浮かし彫され、花筒は茶筅です。なお、庭は小堀遠州こ作になります。
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