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執筆者の写真木津宗詮

中條文化財団レクチャー

武者小路千家4代一翁宗守は元伯宗旦の次男で次男で、早くに塗師屋吉文字屋吉岡与三右衛門の娘婿となり吉岡甚右衛門と名乗りました。与三右衛門没後吉文字屋の主人として京はいうに及ばず江戸に出店を構え手広く商いをしました。その後宗旦の希望もあり銀座の座人となりました。宗旦が没した前後に千氏に復し、60歳の時に高松松平家の茶堂頭として仕官しました。利休が大成した侘茶を父宗旦や弟江岑宗左、仙叟宗室、杉木普斎ら宗旦の高弟らとともに伝播普及に尽力しました。そして延宝3年(1676) 12月19日に71年の数奇な人生を終えました。



本日は午前と午後の2回にわたり、高松市の中條文化財団の夏季講習で一翁宗守についてお話ししました。特に長らく定説とされていた一翁の生年が吉岡家の菩提寺である慧光寺で私が発見した『智照山慧光寺過去帳』により11年の誤差があったことや、一翁の妻や子供達の墓石と江戸時代に描かれたた『智照山慧光寺墓地石碑配当図』についてのご紹介をさせていただきました。



京都から持参した6代真伯画賛にになる的伝を呈茶席の床に掛け、武者小路千家の道統をご覧いただきました。高松は一翁以来武者小路千家とは格別深いゆかりの地です。流儀、他流の方にご参加いただき、改めて一翁の事績をご紹介出来たことはとてもありがたいことでした。



お暑い中をご参加いただきました方には本当にありがとうございました。また主催者、関係各位にはまことに有意義な機会を与えてくださいましたことに感謝感謝申し上げます。

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