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執筆者の写真木津宗詮

二十四孝(にじゅうしこう)

「二十四孝」とは、中国において後世の範として古来有名な孝子24人をいいます。五帝の一人虞舜(ぐしゅん)・漢の文帝・曽参(そうしん)・閔子騫(びんしけん)・仲由・董永(とうえい)・剡子(えんし)・江革(こうかく)・陸績(りくせき)・唐夫人(とうふじん)・呉猛(ごもう)・王祥(おうしょう)・郭巨(かっきょ)・楊香(ようこう)・朱寿昌(しゅじゅしょう)・庾黔婁(ゆけんろう)・老莱子(ろうらいし)・蔡順(さいじゅん)・黄香・姜詩(きょうし)・王褒(おうほう)・丁蘭(ていらん)・孟宗(もうそう)・黄庭堅(こうていけん)です。一般に親に対する子の一方的な献身を説き、親の喜びのために、70歳になっても赤ん坊のまねをする周の老莱子や親を養うためにわが子を生き埋めにしようとする漢の郭巨、氷上に寝て鯉(こい)をとろうとする晋の王祥の話など残酷なものもあります。

「二十四孝」は日本にも伝わり,御伽草子をはじめ江戸時代に、近松半二らの浄瑠璃『本朝廿四孝』や井原西鶴の『本朝二十不孝』などにも影響しています。また寺子屋では孝行を勧める教材にも採り上げられ、神社仏閣等の建築物にも人物図などが描かれています。

その中の一人である孟宗は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていました。ある時、病気の母が真冬に筍が食べたいと言いました。孟宗は竹薮に行きましたが冬に筍があるはずもありません。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていたところ、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出てきました。孟宗は大変喜んで筍を採って帰り熱い汁物を作って母に与えるとたちまち母の病も癒えて天寿を全うしたとのことです。これは孟宗の母への深い孝行の思いが天に通じたというお話です。

ちなみに食用にされる筍の「孟宗竹」の名前の由来はこの「二十四孝」の孟宗がが元となっています。

先日犬の散歩で吉田山を歩いていると女竹(河竹)の筍が生えていました。冬の雪深い竹藪ではありませんが、この季節に筍が生えていて驚きました。







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