今日は仏教の開祖釈迦が入滅した涅槃会です。釈迦は35歳で尼連禅河(にれんぜんが)のほとりの菩提樹の下で悟りを開きました。その後45年間インド各地に布教しました。80歳のとき、生まれ故郷へ向かう途中の波婆城(はばじょう)で鍛冶屋の純陀(じゅんだ・ちゅんだ)に法を説き、供養として茸料理の布施を受け、それを食べて食中毒になり、拘尸那竭羅(くしながら)の跋提河(ばつだいが)のほとりで入滅しました。釈迦は、自分の亡きのちは、
ただ、自らをよりどころとし、真理をよりどころとせよ。
と説きました。釈迦の説いた教えと戒律を自分の師としなさいとという意味です。この教えを「自燈明(じとうみょう)・法燈明(ほうとうみょう)」といい、「自分自身を頼り(燈明)としなさい。そして、私を頼りにするのではなく、私の説いた法を頼りとしなさい。」ということです。
最後の説法を終えたのち、
私は、なんじらに告げよう。すべてのものは移り変わっていゆく。放逸(心が散漫になり修行に専心できないこと)なることなくして、精進するがよい。これが、私の最後の言葉である。
と告げ、静かに目を閉じ、最高の禅定に入り、やがて完全な涅槃に入りました。体全身が光明を放ち、金色身となりました。涅槃とは、梵語でニルバーナといい、「吹き消す」・「消滅する」という意味です。すべての煩悩が消滅して悟りを完成させる境地を指しています。
体調を崩した釈迦は、阿難(あなん)に命じて、2本の並らんだ沙羅双樹(さらそうじゅ)の間に、頭を北に向けて床を用意するように命じました。頭を北右脇を下にして、両足を重ねて静かに体を横たえました。これを頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)といいます。なお、頭を北に向けて寝ることは、地球上の磁場と血液の流れが一致することにより、一番安定した安らぎを得る状態だそうです。遺体を北枕にするのは、釈迦の涅槃に準じてます。この時、悲しみのあまり沙羅双樹は時ならぬ花を開きました。この8本の沙羅双樹は、4本は説法が終わるとたちまちに枯れ、他の4本は青々と栄えました。これを四枯四栄(しこしえい)といます。四枯とは釈迦の肉体が涅槃に入りったことをいい、四栄は説かれた仏法は後世に残って栄えることいいます。ちなみに、日本では「夏椿」のことを沙羅双樹と呼んでいます。朝に咲いて、夜には花が落ちることから、「はかないもの」の代名詞とされています。『平家物語』の巻頭の、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす
はこれに基づいています。
沙羅双樹の枝に錫杖(しゃくじょう)と共に錦袋が掛かっています。阿那律尊者(あなりつそんじゃ)が、忉利天(とうりてん)の釈迦の母・摩耶(まや)夫人に釈迦が入滅したことを報告しました。さっそく摩耶夫人は阿那律尊者の先導で雲に乗り地上に下っています。そして摩耶夫人は起死回生の霊薬を錦袋に入れて釈迦のもとにむかい、釈迦めがけて薬袋を投げました。ところがたくさんの鳥に邪魔をされ沙羅双樹の枝に引っかかって釈迦には届かなかったことを表わしています。なお、涅槃図には猫が描かれていません。それは木に引っかかった薬袋を、釈迦の為に鼠が取りに行こうしたら、猫が邪魔したため、薬を飲めず釈迦が亡くなったと伝えられています。そのため涅槃図に猫が描かれていないそうです。
釈迦が臨終した時、阿難は悲しみのあまり気を失い、まるで死人のように地に倒れました。阿泥樓駄(あぬるだ)は、清冷の水をもって阿難の顔に注ぎ、助け起こしようやく阿泥樓駄の声で正気に戻ることができました。
釈迦の入滅のきっかけを作った純陀が新にご飯を差し出しています。釈迦の足をさすている老婆は毘舎離城(びしやりじよう)の老女は、釈迦の45年間の布教に歩いた足をさすり慰め、涙を流しています。
観音菩薩や弥勒菩薩・地蔵菩薩などの菩薩、帝釈天と四天王、釈迦の教えを守護するための眷属(けんぞく)となったと言われる阿修羅(あしゅら)や迦樓羅(かるら)・竜・緊那羅(きんなら)などの八部衆(はちぶしゅう)、舎利佛(しゃりほつ)や目連(もくれん)・富楼那(ふるな)・須菩提(すぼだい)等十大弟子、速疾鬼(そくしつき)という夜叉(やしゃ)、月蓋(つきがい)長者や純陀(じゅんだ)長者など在家の弟子など51人の人物。迦陵頻伽(かりょうびんが)や孔雀・象・犬など45種類の動物・鳥・昆虫までも泣き悲しんでいる姿が画かれています。このように涅槃図には多くの物語が描かれています。以上のことは物の本に書かれていたことです。単なる受け売りですが、ご存知でない方も多いことかと思いますのでご紹介しました。ご存知の方にはまさに「釈迦に説法!」です。何卒、ご容赦ください。
さて、まことに不遜なことと、罰当たりなことと思われるかと思いますが、私は釈迦は偉大な偉大な超偉人だと考えています。超能力を発揮する神でもなんでもなく、凡夫の魂を救済する手立てを体現し、それを多くの人に伝えた人。神でもなんでもない、私たちと同じ人間だと思っています。今日のような霊妙なそして超人的な能力を備えた仏になったのは、当時のインド人の信仰やインドの風土によるものが根幹にあり、のちの弟子たちがより偉大なものに仕立て上げ、また、自分たちの信じる釈迦の教えを絶対のものにするため創り上げられたものだと思っています。そして釈迦は私にとっては決して何かを願う、祈る対象でもありません。敬意を表しても何かを祈るという存在ではありません。偉大な超偉人であり、偉大な教師であり、偉大な指導者です。
この涅槃図は作者は不明ですが、安政三丙辰朧八日に志道なる人物が画かせた旨が外題に認められています。今日はわが家でもこの軸を掛けて家族で超偉人である釈迦の遺徳を偲び、その恩に報います。
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