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冷泉家の土蔵

執筆者の写真: 木津宗詮木津宗詮

冷泉家の土蔵は特に「御文庫」とよばれ、同家の最も大切な建物です。一階に国宝5点、重要文化財48点、二階には和歌の神様はじめ俊成卿・定家卿はじめ同家の歴代当主が祀られる神殿になっています。このたび私が主催する勉強会に土蔵を紹介するにあたり、私の和歌の師匠である冷泉貴実子先生が特別に御文庫と現在建設中の土蔵のまえでお話しくださいました。その動画をご紹介します。

さて、土蔵とは防火、防湿、盗難防止の機能を兼ね備えた土蔵造り・蔵造りなどとよばれる建築様式による物を格納する建物をいいます。大切な家財道具や米などを保護・収納する金庫もしくは倉庫のような建物です。

柱を約1メートル間隔に立て、その外側に丸竹と棕櫚縄で下地(木舞)をつくり、壁土を何回も塗り重ねて20~30センチメートルの厚さとし、その上を漆喰で塗り上げた耐火建築構造からなっています。漆喰で覆われているのは外部のみで、内部は木部が露出しています。壁の上部に鉢巻という突出部をつける。屋根は瓦(かわら)が多い。開口部は蔵戸前の観音開きの扉、土塗りの引き戸でふさがれています。火災のときは、扉を閉め、さらに常から用意してある用心土と呼ばれる粘土を土蔵の全ての隙間に目塗りして土蔵への延焼を防ぐといった防火活動をしました。出入り口の召し合わせは、複数段の段形からなっています。外観の仕上げは、大壁とし、土壁の上に漆喰総塗籠(しっくいそうぬりごめ)屋根、その上に束を建てて瓦葺きの置き屋根(おきやね)をのせた二重屋根になっています。土は雨水に弱いため、それを保護するためのものです。

その起源ははっきりとはしませんが、すでに中世には町屋などとともに建てられています。近世になり鉄砲伝来の影響により城郭にも防火や防弾のために漆喰大壁の技術が用いられ、天守や櫓などの防御施設は土蔵造りとなりました。その技術も取り入れられ、現在みられることのできる土蔵の様式は江戸時代に完成したものです。なお、江戸時代の大火や、戦争による焼夷弾による火災でも内部に火が回らず、内部に火が回らず収蔵品が焼け残った事例がたくさんあります。

このように土蔵は、防火・盗難防止のために様々な工夫の末に確立された特殊な構造で、すなわち知恵と技術を凝縮した造りとなっているのです。貴実子先生のお話にある通り、冷泉家の土蔵は四百年前に建てられ、その後、応仁の乱以来の大火であった天明の大火を掻い潜り、八百年前の貴重な典籍類を守り抜き今日に伝えています。それは防火という側面だけでなく、内部の温湿度を常に一定に保つという特徴もあります。鉄筋コンクリートはたかだか4、5十年、それに対して土蔵は四百年の実績があります。現代建築では殆どと言っていいほど、本来の土蔵は新築されることがなくなり、鉄筋コンクリートによる収蔵庫が大半となりました。昔ながらの土蔵が新築されることは全くと言ってよいほどなくなりました。まことに残念なことですが、時代の変化により需要が無くなれば必然的に技術も消えてしまうのです。今回の冷泉家の土蔵の建築では貴重な文化財の保存というだけでなく、長年にわたり伝承されてきた技術の継承の貴重な場でもあります。ただ、今回の建築は文化庁の補助がなく、独自の資金でなされるとのことです。みなさん文化的価値の高いこの事業を応援してあげてください!



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