• 木津宗詮

初代松斎宗詮26 奈良の門人

奈良の門人として小山田主鈴・橋本喜久右衛門・小瀬慶五郎・古川弥三郎・生嶋与五郎・嶋田平右衛門・瀬川茂左衛門・松嶋新六・高坂惣七・仙石主税・小瀬弥作が確認できる。

 橋本喜久右衛門は奈良奉行所の与力で、名は政方まさみち、陶々斎と号し、奈良池之町に住んでいた。嶋田平右衛門は奈良三条通で小島屋の屋号で油屋を営んでいた。瀬川茂左衛門は勝南院町、高坂惣七は南魚屋町でそれぞれ奈良晒商を営んでいた。他の人については不明である。


小山田主鈴

真台子許状 以心斎相伝

小山田主鈴(一寧)筆『乱飾相伝之秘書』

往年の小山田邸 表門

往年の小山田邸 中央向こうに茅葺屋根の茶室は松斎の好みの席で、のちに取り壊される

松斎の作になる庭園


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2代得浅斎宗詮3 一指斎の後見

得浅斎は、松斎の茶の湯を義母の柳とともに支えた。武者小路千家は此中斎の離縁により、急遽新たに後継者を迎える必要に迫られた。「登士録」に、嘉永5年(1852)3月22日に表千家の吸江斎の息子で、以心斎の甥にあたる辰之助、のちの一指斎が再養子として入家している。辰之助が5歳の時のことであった。「松平家譜」には、同5年4月19日に、「茶道格別之家筋」ということから、未だ幼年ではあるが、十人扶持を支給され

2代得浅斎宗詮2 茶の湯修行

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