初代松斎宗詮28 水口・日野の門人

 以心斎の入門帳と許状の台帳などから、松斎には、近江国の水口(滋賀県甲賀市)と日野(滋賀県日野町)に以下の門人がいたことが確認できる。日野の門人は正野猪五郎(天保七年入門)・中井正治兵衛(天保八年入門)・矢野覚左衛門(同)・藤崎佐兵衛(天保九年入門)・矢野庄右衛門(同)、水口の門人は山本小三・山村十郎右衛門(天保九年)・池本忠右衛門(天保十四年)・佐々木友笑(同)・山村九郎治(同)・蓮花寺・佐々木友賢山本三慶等である。


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得浅斎は治宝の信任が厚く寺社奉行や勘定奉行等の要職を歴任し、紀州藩の藩政改革を推進し、藩内の尊皇論を主導した伊達千広(だてちひろ)・宗広(むねひろ)と親交を結んでいた。なお、宗広は治宝没後、その側近が一斉に粛正された時、田辺(和歌山県田辺市)に10年近く幽閉され、のち脱藩して尊皇運動に参加している。その千広の六男が坂本龍馬の海援隊の一員で勤皇の志士であった睦奥宗光(むつむねみつ)である。ちなみに陸

因縁

幽玄