初代松斎宗詮29 正野猪五郎

 正野猪五郎(しょうのいいごろう)は、日野椀とともに日野を代表する商品として家伝薬「萬病感應丸(まんびょうかんのうがん)」を製造販売する商家正野家の6代目当主である。猪五郎は代々の当主名である玄三(げんぞう)を名乗り、友斎(ゆうさい)・尚孝(なおたか)・友聲(ゆうせい)あるいは素竹(そちく)と号し、商人であるばかりでなく、茶の湯の他にも俳諧を好む文化人でもあった。晩年、自邸の庭に窯を築き「友斎焼」として、赤楽をはじめ飴釉や緑釉を総掛したものや、鉄絵を施した織部風の茶碗や花入・香合・水指・火入・皿・などを造っている。作陶は松斎に入門したことを契機にはじまったという。松斎を通じ陶家を紹介され、また松斎の指導を受けて製作技術を身につけたものとされている。







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得浅斎は治宝の信任が厚く寺社奉行や勘定奉行等の要職を歴任し、紀州藩の藩政改革を推進し、藩内の尊皇論を主導した伊達千広(だてちひろ)・宗広(むねひろ)と親交を結んでいた。なお、宗広は治宝没後、その側近が一斉に粛正された時、田辺(和歌山県田辺市)に10年近く幽閉され、のち脱藩して尊皇運動に参加している。その千広の六男が坂本龍馬の海援隊の一員で勤皇の志士であった睦奥宗光(むつむねみつ)である。ちなみに陸

因縁

幽玄