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初代松斎宗詮38 岩永文禎

執筆者の写真: 木津宗詮木津宗詮

 松斎と徳川治宝について触れた際に記した岩永文禎は、鐘奇斎と号し、大坂の外科医岩永文茶の門下となり、のちにその娘婿となり道修町四丁目で開業した。茶の湯は松斎に師事し、能・俳諧・連歌を嗜んだ。天保13年(1842)から慶応2年(1866)の死ぬ直前まで、20余年間にわたり『鐘奇斎日々雑記』という備忘日誌を記している。個人的動静はじめ、家族や交友関係について、職業上の記述・災害・芸能・噂話等さまざまなことが認められ、松斎に関する多くの記録が残されている。

 松斎が自宅で毎月決められた日に「釜日」と称して茶会を催していたことや点初や、嘉永4年(1851)11月6日に、得浅斎が亭主となり松斎全快祝いの茶事に招かれている。この茶事は突然平瀬家の一方庵で催された茶事であった。この時に松斎が書いた軸が伝わっている。「可悦」という置き字が書かれ、「昨秋より不快ニ有之を、野田氏御治療にて当春快復、悦ひのあまり 長閑なり雪気もはれて春の山」と発句が認められている。

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