• 木津宗詮

初代 松斎宗詮 1

最終更新: 2019年10月5日


卜深庵ぼくしんあん木津家初代松斎宗詮しょうさいそうせんは、安永六年(一七七七)四月八日、願泉寺がんせんじ三十五世時龍じりゅうと貞光ていこうとの間に生まれた。名は敬包、法名降龍こうりゅう。民部卿みんぶきょうと号している。弟に三十七代昇龍しょうりゅうがいる。願泉寺の住職時代は降龍と名乗っていた。


 太平時節

 茶事生涯

 還郷一曲

 自納些々

  洞雲拙叟又題(印)


願泉寺に生を受けてその住職となり、雅楽伝播のために単身江戸に下り、松平不昧ふまいの薫陶を受け、一啜斎いっとつさいに師事して武者小路千家の茶の湯を極め、茶の湯に生涯を置き、好々斎こうこうさい没後以心斎いしんさいと武者小路千家を支え、紀州藩主徳川治宝はるとみや一乗院いちじょういん門跡尊応そんおう親王(後に還俗して久邇宮朝彦くにのみやあさひこ親王)より過分の栄誉を受け、流儀の流布に東奔西走するまさに茶の湯にすべてをかけるという生涯であった。そして本来の姿に戻った時には、こんなことはほんの些細なことでしかなかった。最後はそうした境涯であったという内容の賛である。


 賛の筆者は二代得浅斎の参禅の師である大徳寺四百四十七世・玉林院十三世の拙叟宗益せっそうそうえき、徳川治宝から還暦の賀に拝領した裏紅の熨斗目のしめを着し、十徳を羽織り、腰に脇差を帯して褥しとねの上に座した正装姿である。表装の裂地は松斎が生前中に着用した十徳の布地が用いられている。







49回の閲覧

最新記事

すべて表示

2代得浅斎宗詮3 一指斎の後見

得浅斎は、松斎の茶の湯を義母の柳とともに支えた。武者小路千家は此中斎の離縁により、急遽新たに後継者を迎える必要に迫られた。「登士録」に、嘉永5年(1852)3月22日に表千家の吸江斎の息子で、以心斎の甥にあたる辰之助、のちの一指斎が再養子として入家している。辰之助が5歳の時のことであった。「松平家譜」には、同5年4月19日に、「茶道格別之家筋」ということから、未だ幼年ではあるが、十人扶持を支給され

2代得浅斎宗詮2 茶の湯修行

家元への入門並びに許状の台帳によると、得浅斎は天保6年(1835)、14歳の時に武者小路千家九代好々斎に入門している。なお、好々斎はその10日後に41歳で没しているので、好々斎に直接茶の湯の指導を受けることができなかったと思われる。いずれにしろ好々斎の最後の弟子の一人であったといえる。 同10年(1839)3月に小習六ヶ条と、唐物点・茶桶箱、同年10月には台天目と盆点・乱飾、そして流儀の最奥義であ

​お問合せ

一般財団法人卜深庵

  • Grey Twitter Icon
  • Grey Instagram Icon
  • Grey Facebook Icon

© 一般財団法人 卜深庵 All Rights Reserved.