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十日えびす

恵比寿神は大黒天、毘沙門天、弁才天、福禄寿、寿老人、布袋の七福神の一柱です。恵比寿神・蛭児命(ひるこのみこと)は伊弉諾岐命(いざなきのみこと)と伊弉諾美命(いざなみのみこと)との間に生まれた最初の子です。しかし体に障害があったため葦の舟に乗せられて流されてしまいました。恵比寿神社の総本宮である西宮神社の社伝では、その後、恵比寿神は西宮の浜に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたとのことです。ちなみに戎、蛭子、恵美須などとも表記し、えびっさん、えべっさんと親しみを込めて呼ばれています。狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的です。「商売繁盛」や「五穀豊穣」、「大漁追福」をもたらす神として崇められています。

1月10日を中心に9日から11日(神社によって8日から12日)まで行われる「十日えびす」は関西地方の恵比寿社の祭典として広く全国に知られています。京都では建仁寺門前のゑびす神社が有名です。同社は建仁寺の開山栄西禅師が宋から帰朝する時、嵐に遭い恵比須像を祀って祈ると暴風が静まり無事に帰国できたことから同寺の鎮守としたのがはじまりとされています。

十日戎といえば「商売繁盛で笹もってこい!」の福笹。福俵、千両箱、大福帳、福鯛、金蔵、福箕、戎顔、小槌等の縁起物を授与された福笹につけてもらいます。そもそもこの福笹は同社18代宮司・中川数馬義幸の発案によるものだそうです。「笹持ってこい」の笹はお酒のことで、お酒を飲んで千鳥足で来る参拝客が多く、この「ささ」から「笹」とし、青々として真っすぐ伸びることから縁起が良く、恵比寿神の持ちものである釣り竿にちなむことから福笹の授与が始まったとのことです。のちにこの福笹が各地の恵比寿社に広まり今日に至っています。なおお酒をささというのは中国で酒を竹葉といったことから「さけ」の「さ」を重ねた女房詞がもととのことです。

なお、恵比寿神は耳が遠く本殿の横で素手で板塀をドンドンと叩いてお願いするという風習があります。

幕末・明治の篆刻家・画家羽倉可亭の「恵比寿神図」です。可亭は代々伏見稲荷大社の祠官をつとめる家に生まれ、同社の神職となりましたが24歳の時にその職を辞し、のち四方を漫遊して篆刻書画を業としました。維新後、宮内省の命で6つの御璽(ぎょじ)を刻し、また諸親王の印章を篆刻し、特に有栖川宮の寵遇を得ました。

もう一幅は中島華鳳の「福笹」図です。華鳳は明治・大正期の京都の森寛斎門下の画家で、書を富岡鉄斎に師事しました。屏風や屏障画を多く描き、特に花鳥・山水を能くしましました。


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