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執筆者の写真木津宗詮

四天王寺献茶

今日2月22日は和国の教主聖徳太子の1401回忌です。聖徳太子が戦勝祈願のため四天王を祀り、その加護によって物部守屋を打ち破った時の姿を土佐光起が描いた図を床に掛けました。花は東大寺お水取りの糊こぼしを華籠に盛りました。

四天王寺と木津家の関わりは、昭和8年(1933)10月に3代聿斎が本坊の茶室「払塵亭」と「臨池亭」、庭園の設計・施工をしています。なお、この年の7月な朝香宮邸の庭園と茶室の施工の監督を終え香合「白金」を拝領し、また、同月にはブルノー・タウトーの来訪を受けています。 昭和15年(1940)5月には、4代花笑斎が聖徳太子1350年遠忌法要で献茶を奉仕しています。花笑斎はこの年の11月に奈良県橿原市の橿原神宮で紀元二千六百年奉祝の献茶をしています。そして5月に聿斎最後の仕事である岸和田の寺田理吉邸(現、五風荘)の竣工記念の茶会が行われ、7月29日に79歳で聿斎が亡くなっています。 昭和38年(1963)に、花笑斎は空襲で焼けた伽藍再建の落慶法要で献茶を奉仕しています。そして毎年4月22日の聖霊会では木津家が茶席を担当しています。 昨年2月22日は聖徳太子1400年遠忌に正当し、父徳至斎が聖霊院で太子に献茶奉仕しました。 聖徳太子創建になるわが国仏法最初の寺として、身分を問わず広く多くの人びとにより信仰されてきた寺です。なお、創建以来、幾度も災害や戦火に被り、その都度再建されてきました。前の戦争の大阪大空襲では一部を残して灰燼に帰しましたが、昭和38年に檀信徒の寄進のみで飛鳥様式の伽藍が再建されています。今日、庶民信仰の寺・お太子さまの寺として多くの人の深い信仰を受けています。

聖徳太子というと、ある程度から上の年齢の方には、一万円札のイメージだと思います。この聖徳太子は綺麗なお顔に上品な鎧兜です。昨年、四天王寺で見てもらったところ、とても珍しいとのことです。














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