国内最古で現役の下水道

パリやロンドンに本格的な下水道が登場するのは19世紀以降のことだそうです。

豊臣秀吉は低湿地が多かった大坂の都市造りにあたり、堀川の開削をし掘り出した土は両岸に埋め土地をかさ上げしています。そして碁盤の目状の道路や町割を整えました。道路に面した町家や商家の裏手、家同士が背中合わせになる所に下水溝を掘りました。この下水溝を「背割下水」といい、のちに「太閤下水」の名がつきました。

下水溝は堀川につながり、ふだんは汚水を流し、雨の時は放水路となりました。この時点で都市の排水機能が確立していたのです。秀吉の都市造りは道路や堀川を当初からの都市計画に組み込んでいました。このことは画期的なことで、世界でも類を見ない事業だったとのことです。

太閤下水は江戸時代になっても拡張され、町衆が管理しました。「水道浚(さら)え」という一斉清掃日を設け、補修費も出し合ったとの記録が残っているそうです。明治22年には350キロの長さだったという記録があるそうです。現在も船場地区などでは約0キロが使用されていて、現役では国内最古とのことです。写真は中央区伏見町の稽古にいっている道具屋さんの敷地内の太閤下水です。




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