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執筆者の写真木津宗詮

堀池春峰作修二会松明茶杓「銘木守(こもり)」

堀池春峰作修二会松明茶杓「銘木守(こもり)」です。茶杓の節の部分が黒く焦げていて、修二会の「お松明」であったことがわかります。銘の「木守」は、修二会の練行衆とは別に、三役と呼ばれる役人がおり、「堂童子(どうどうじ)」、「小綱(しょうこう)兼木守(こもり)」、「駈士(くし)」のうちの、「木守」のことです。

堀池春峰は、日本仏教史の研究者・東大寺史研究所長で、代々東大寺の会計を務めた「小綱(しょうこう)」の家系堀池家に長男として生まれました。東大寺小綱職となり、ほぼ毎年、同寺二月堂の修二会(お水取り)に出仕し、特に物資不足の戦中戦後にも用度担当者として資材の確保に尽力し、行の中断を防ぎました。戦後は京都大学文学部国史学専攻を卒業し、文化財保護委員会の依嘱により、京都市・滋賀県・和歌山県・奈良県の寺院所蔵の仏典・文書の調査に従事し、現在の聖教調査の基礎をつくりあげました。

東大寺修二会(お水取り)は、毎年3月1日から14日までの2週、同寺二月堂の本尊十一面観音に、練行衆と呼ばれる進潔斎した僧がみずからの過去の罪障を懺悔し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事です。「不退の行法」として引き継がれ、戦時中なども一度も中止されることなく行われ、令和5年で1272回目となるとのことです。

13日午前1時30分ごろから3時ごろまでお水取りが行われます。大勢の参拝者の見守る中、5人の練行衆が閼伽井屋(あかいや)・若狭井で香水をくむ閼伽桶とよばれる桶に入れられ二月堂に運ばれ、本尊に供えられたり、供花の水として用いられたりします。この水は、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が神々の参集に遅れたお詫びとして二月堂本尊に献じられたとされています。今も遠敷明神の神宮寺であった若狭小浜市の若狭神宮寺では今もこの井戸に水を送る「お水送り」(3月2日)の行事が行われています。

昔から近畿地方では、「お水取りが終わると春が来る」といわれています。


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