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大將ハカリニテ軍ハナラス

宗旦四天王の一人杉木普斎は宗旦から伝授さらた利休のわび茶を徹底して世に広めた茶人です。普斎の茶道具に対する考えが『正續神都百物語』に記されています。


  分限者のあさましさ心には、道具の何れも珍しき物ばかり出し申し候と、金持ち珍しい

  道具ばかり用いることをあさましい心であると非難し、大將ハカリニテ軍ハナラス、面

  桶竹輪抔ハ金銀ノ價重キモノニイサゝカ、カマケヌ也


と軽く見られがちな木地曲の建水や竹の蓋置なども、値段の高い道具に劣らないと戦に喩え、


  一二種かはりたる、數寄一入なる心なるべし


と道具組で一つか二つ珍しいものを用いるのが大層趣があるといい、


  今の如く、ただ道具の高下のみを論ずることはいといやし


と、値段による価値のみを論ずることを卑しいことだといい、


  不知人ハ新しきより古きを用ひ、價のかろきより重きを用いると一概におもへるハ僻事

  なり、又其人に應し道具により價の高下により用ると不用との心得あり


と、新しいより古いもの、値段の低いものより高いものがよいと思うのは間違ったことで、用いる人により、道具により、値段により用い方があると説き、土鍋で渋茶を点てるほどのわび人が、高僧の墨跡や名物の茶入等を所持していたなら、それは真の茶の湯とはいわず、根本の精神を失い名利を好む行いであると主張しています。わび人も素晴らしい道具で、美味な料理、結構な茶室で茶事をしたいのだがそれが叶わず、わび人になり「相應濃茶をあらく挽て」点てるのだといっています。また豊かな者がわざとわびたようにするのは作り事で良くないとも主張しています。普斎によれば、茶の湯は「人々相應の茶湯」であるべきで、そうでない茶は真の茶の湯ではないと盛んに説いています。当時の華美を尽くし、風流に堕した実を忘れた茶の湯者たちを名人ともてはやすなか、真の茶の湯者は「高きも賤きも老いたるも若きも其身の分限りに應して楽むは實成」と喝破しています。 



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