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執筆者の写真木津宗詮

大峰山徒拝修行

更新日:2019年9月16日

 実父も祖父も大峰山徒拝修行を勤め、わたしもかねてから徒拝修行達成することを念願としてきました。そしてこの度、ようやく中学1年になる息子とともに聖護院門跡の大峰修行に参加させていただくことができました。まさに感慨無量の心境です。

 木津家と聖護院様のご縁は、今から220年前の寛政11年(1799)3月10日に、初代松斎宗詮23歳の時に聖護院宮盈仁入道親王(しょうごいんのみやえいにんにゅうどうしんのう)が役行者(えんのぎょうじゃ)千百年の遠忌法要を箕面の滝安寺(りゅうあんじ)で済ませられ、父時龍(じりゅう)と松斎親子が長堀橋まで出迎え、同12日まで親王が松斎の出身である願泉寺客殿に逗留されたことに遡ります。聖護院蔵になる『御日録』によると、11日は住吉大社と四天王寺に参詣し、12日に願泉寺を出立し枚方に至られています。親王の願泉寺滞在中、松斎は四天王寺の伶人と参殿し旅情をお慰めるために管弦を奏し、また自作の龍笛を披露しています。親王はその龍笛に「柴船」と御命銘くださり、「響如流ひびきながれのごとし)」の御染筆と直衣・文具を御下賜しくださり、今日もその龍笛は願泉寺に所蔵されています。そして親王の格別な計らいに対し、松斎は自身の好みで造らせた深草窯の火鉢一対を献上しています。ちなみに親王は帰洛ののち、禁裏に参内して光格天皇にその時のことをお話されたところ、天皇がその火鉢を所望されたため、そのうちのひとつを献上したと伝えられています(『木の津之遺蹟』)。

 当日は聖護院門跡にに集合して本堂での勤行から始まり、威儀を正しての列立で丸太町通のバスに移動しました。天川村の洞川にいたり、一同バスを降り、清浄大橋を渡り、女人結界の門の手前で列立てを整え、法螺の響き渡る山中を進む時の心境はまさに身の引き締まるものがありました。そして徐々に脚が辛くなりはじめ限界に達したころに洞辻茶屋に(ほらつじちゃや)いたり勤行ののちの小休止で一息つき、わたしたち新客は表の行場での修行に望むことになりました。「鐘掛岩(かねかけいわ)」の断崖絶壁をよじ登り、「お亀石」を経て、標高1650メートル,約100メートルの垂直の絶壁の[西の覗(のぞ)き]の行場に至りました。ここでの修行は日本三大荒行の一つとされている荒業とのことです。自らの仏性に気付き、即身即仏を感じ取り、身は朽ちても精神だけでもこの世にとどめ、未来に現れる弥勒菩薩に遇う事を願う行で「捨身(しゃしん)の行」とのことです。先端の覗き岩というところで、2つの輪が付いた縄を背中から両腕に通し、その縄を1人の先達がしっかり握り、片足ずつを二人の先達がそれぞれ両手でつかみ、覗き岩からそそり立つ絶壁から身をのり出して仏の世界を覗く修行です。上半身逆さ吊りになる命がけの修行です。そして足をつかんだ先達が、

 「親孝行するか?」  「仕事に励むか?」

 「信心するか?」  「家族を大切にするか?」

などの問いに対して大声で、「はい!」と答えます。そして「声が小さい!」といってより下にずり下ろされます。そして「はい!」という絶叫が響き渡りようやく引き上げてもらえます。下には不動明王の祠があり、身を乗り出せば出すほどその祠が見えるのです。

 わたしはその時、それまで見てきた山の木々の美しい緑や岩肌とはまったく異なる、未だかつて見たことのない美しい光景を目にしました。その光景は今も見事に目に焼き付いています。その時は怖いという一心でしたが、岩から突き出された時にはもうそれすらも吹っ飛び、欲得も貴賤や貧富・賢愚・老若・職業もなにもないすべて平等な境遇に置かれました。思考が完全に停止してただ目の前に見える光景だけが真実なのです。そう考えると、思考や観念や言葉はただの水の泡みたいなものです。見えるものは人それぞれだったと思いますが、わたしにはかつて見たことのない鮮やかな緑の美しい世界でした。これが真実の世界なのだと感じました。大げさな言い方ですが、わたしはその瞬間、宇宙と一体になったのだと。これが禅で言うところの悟りの境地ではないかと思いました。まさに即身成仏。ところが今これを書いているわたしはすでに真実の世界から遠く離れ、その時の体験を思考して文章にしています。まさにあの時の境地は瞬時のことで水の泡となって浮かび上がって消えてしまいました。

 表の行場に引き続き裏の行場の修行も終え、本堂での勤行、そして採燈護摩(さいとうごま)を無事に勤めて宿坊に戻り、風呂で汗を流し、一同で夕食をいただき、その後、持参の茶箱で諸先達はじめ同行のお世話になった30名のみなさんへのお礼の意味の一服のお茶を盆点前で差し上げました。今日一日の行を無事に終えた安堵感に浸る至福の瞬間でした。茶の湯では「一期一会」ということを大切にしています。「一期」とは生まれてから死ぬまでとか一生涯とかの意味です。「一会」とは一つの集まりとか一度の出会いです。一年後に同じメンバーで同じ日に同じ場所でお茶をいただいてももうそれはまったく別のものです。二度と同じ出会いはありません。まさに遭い難い出会いです.山の清浄な水で沸かした湯で点てた一碗のお茶を通じて一同が縁を結ぶことができました。そして多くのみなさんにお慶びいただけたことは何よりの幸いでした。

 かつてある老僧からうかがった話ですが、この世の中で最も尊いものの一つがともに飲み食いをすることだと。毎日顔を合わせている人でも縁がなければ生涯ともに飲み食いをすることはない。ところが初めて会った人とともにすることもある。それはまさに縁があるかないかの違いである。ともに飲み食いをするのは前世で、この時、この場でともにするという約束が会ったからなのだと。だからこそ、ごく当たり前の日常のことである飲み食いを粗末にしてはいけないのだと。まさに私たちは前世でこの日、この場所でともに飲み食いをすると約束していたのです。そしてこの度の大峰山徒拝修行も同じく「有り難い」、すなわち「有りたいと願ってもしようのない」仏縁により叶えられたのです。

 この度の大峰山徒拝修行を通じて痛切に実感したことは、目の前の真実の姿を見ることのできる目を養うこと。本来、全身が純粋無垢な水でありながら、思考だけが泡となって浮き上がり水の中にしっかりと止まっていない。そして歳を重ねるにつれ濁りが増していく。死を疑似体験することで新たな命を吹き込んでもらい生まれ変わることができたことを実感して真実を見極めることのできる目を少しでも養っていかねばならない。そして人との縁をこれまで以上に大切にしていかねばならないということです。

 ちなみに中学1年生の息子の感想は、西の覗きは最初怖いという思いだったのが、断崖絶壁から突き出されるとそれすら感じなくなり、覗き岩に引き上げられた時にはとても清々しい気持ちになったそうです。そしてなにより苦労に苦労を重ね、種々の行を終えて宿坊で食べたご飯が何よりありがたく美味しく感じたそうです。やはり苦労と恐怖、そして何よりご飯をいただけるありがたさ。年齢や経験を超えて人間の根源を身を以て体験させてくれるのが大峰山徒拝修行でもあると思いました。

 最後にこの度の大峰山徒拝修行でご指導ご鞭撻をくださった諸先達はじめ諸先輩方、同行のみなさま、聖護院様に衷心より感謝の念を捧げます。


松斎自作龍笛 聖護院宮盈仁入道親王銘「柴舟」

女人結界門


洞ケ辻茶屋での小休止


表の行場「鐘掛岩」


表の行場「西の覗き」


裏の行場




多峯山寺での勤行

今回の大峰山徒拝修行一同














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