7代家元直斎室宗真の作になる竹茶杓「鶴」です。筒と箱の書付は8代一啜斎です。筒に「八十五歳宗真作」、箱には「老母宗真茶杓 鶴」と認めています。
武者小路千家では、文政6年(1823)の3月に還暦を迎えた娘婿の一啜斎が隠居し、孫娘宗栄の婿として裏千家から迎えた不見斎の三男好々斎が29歳で家督を相続し、宗守を襲名しています。宗真は武者小路千家の安泰を見届け安堵した心境であったと思われます。そして翌文政7年(1824)7月26日に85歳で亡くなっています。この茶杓は宗真が没した年の作で、最晩年の茶杓です。一啜斎の追銘「鶴」には、当時としては異例の長寿を保った宗真そのものをこの茶杓に見たのでしょう。
流儀で家元の室で宗名を名乗っているのは宗真と孫娘の好々斎室の宗栄と二人だけです。宗真の口授になる伝書もあり、また好みの道具も残されています。そうしたことから宗真の茶の湯の造詣が格別深かったことがわかります。また宗栄も好々斎没後、以心斎を初代宗詮と共に支え、好みの道具や書付の施された品が多数あります。この二人の女性は流儀の茶の湯に深く関わった女傑であたといえます。

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