宗詮・木津・卜深庵

初代宗詮が江戸に下向した折、出雲松江藩主松平不昧公の格別の恩顧を被りました。その勧めで江戸在府中に武者小路千家8代家元一啜斎に入門しました。そして不昧公の自筆になる「寒松一色千年別」の墨蹟を拝領して生まれ故郷大坂に帰り、武者小路千家の茶家を立てました。もともと初代宗詮は小野氏でしたが、不昧公は宗詮が大坂木津村の出身であったことから、日ごろ「木津」という愛称で呼び、それを苗字にしてくれました。そして「宗詮」の名と、「卜深庵」の号も不昧公が命名によります。「卜深」は「木津」の音読み「ぼくしん」に由来しています。

先先代家元愈好斎の「卜深庵」為書き竹節無茶杓「大和」です。


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文久2年(1862)8月5日に、「梶木町十七吉子の六日さりにて、父さま行れ、一更ニ帰られ候」とある。8月1日に3代聿斎宗泉(宗詮)が誕生している。この記述の十七吉となきちは3代宗詮の幼名である。「六日さり(だれ)」とは、昔は出産を穢れの一つとされ、産後3日目に産婆または身内の女性が産室で木の盥の湯に塩を入れて身体を拭い、6日目には身体を洗い、そして赤ん坊の産毛を剃り、名付けを行った。これを「六日さ