寒松一色千年別

博多聖福寺の東瀛自関(とうえいじかん)筆になる、「寒松一色千年別野老拈花萬国春」を掛けました。 東瀛自関は、明治・大正の臨済宗妙心寺派の師家で、諱は自関、号は東瀛、室号は汲古室、別号を愚絶といいました。聖福寺128世、のちに妙心寺589世となります。聖福寺に禅堂を開単し、山門はじめ山内の復興に尽力しました。なお聖福寺は栄西禅師が源頼朝の帰依を受けて創建した寺です。後鳥羽天皇から「扶桑最初禅窟」の勅額を賜った日本最初の本格的な禅宗寺院です。


寒松一色 千年別 野老拈 花萬国 春  汲古(印)


寒松一色(かんしょういっしき)千年別(べつ)なり。野老(やろう)花を拈(ねん)ず万国の春。

風雪を耐え抜き寒中にたたずむ一本の松は、今も昔も変わることなく千年の緑をたたえています。その下で一人の老人が花を一枝手折り、春の風景を満喫しています。この句は古今変わることのない真理が常に私たちを照らし、その真理を受けて穏やかに過ごしている様を表しています。禅では、心の平安、安心を得た境地を、天下泰平な春を謳歌していることに喩えた語だそうです、 「寒松一色千年別」はわが家にとっては格別意味深い語で、初代宗詮が江戸から大坂に帰るにあたり、松平不昧公から餞別として与えられた墨蹟に認められた語でもあります。 まだ当分の間はこの寒さが続きますが、いずれ百花繚乱の春が訪れます。今しばらくの辛抱です。