大阪の高級住宅街である北畠・帝塚山の開発、帝塚山学院の創設者の一人である山本藤助北畠別邸(南華園)の設計・建築を聿斎が大正半ばに携わっている。約4000坪(13320平米)の敷地に、豪壮な客殿はじめ数棟に分かれた主屋、茶室、土蔵などが延400坪(1320平米)もあり、広大な庭園は園遊会が催すことができるように作られていた。大阪でも有数の大邸宅であった。昭和47年(1972)に取り壊され、現在は晴明丘公園となり、茶室と燈籠や庭石の一部は帝塚山学院大学狭山キャンパスに移築され今日に至っている。
四畳半の茶室は「好逑庵」と名付けられ、新たに八畳の「欣懐亭」が広間として同大学名誉教授で家元直門長板会会員であった故岡田孝男の監督により移築されている。なお、過日、同大学創設50周年記念の「こだはら大茶会」で卜深庵の後援により茶席が設けられ、広く多くの方々に公開された。
今回、山本家の遺族より、取り壊される貴重なアルバムを借用することができ、往事の姿を紹介する。