子どもの頃に両親から床の間に上がるととても叱られました。床の間は神さんがいる場所だからと。かつての日本人は床の間が神さんの場所ということを知らなくても大半の人は床の間の上に上がってはいけないということを常識として知っていたと思います。
ある料理屋の座敷の張り紙です。店の主人、よほど腹に据えかねたのでしょう。床の間に上がる客が多いのに相違ありません。主人もこんな張り紙したくないにはずです。
昨今の住宅事情、床の間がない、畳の部屋がない、土壁がない、そんなマンションが増えました。そんな事情が反映されて床の間に上がってはいけないということが忘れ去られているのでしょう。時代の流れで日本の伝統が薄れていく、絶えていくことはとても残念なことです。でも仕方のないことでもあります。かつては「男子たるもの一国一城の主となる」というのが夢で、自分の家、マイホームを持つことが生涯の念願とされた時代がありました。そしてそれが長屋であっても限られた部屋の中で、来客を通す部屋には「釣床」といって、落し掛けを取り付け天井から吊束を下げて小壁を設けた簡易の床の間を作りました。昔の日本人の住宅の理想は床の間を備えた和室だったのです。だから自分の家に床の間を持つことがある意味夢だったのです。
掛軸を掛けることも、また、それを良しとしない人がいるのも個人の自由です。合理的な観点から見れば確かに床の間はなくてもいいでしょう。たとえ半畳でも無駄な空間だといえば確かにその通りです。以前、あるお宅で床の間に仏壇を置いているのを見ました。確かに仏壇を安置スペースが特に作られていなければわずかながらもこれも場所をとります。ちょうど床の間が安置するのにとても都合が良かったのでしょう。本来の床の間の意味から考えると礼拝するものを床に上げるのも理にかなっているかもしれません。また、あるお宅では床の間にテレビを置いているのを見ました。これはなんとも滑稽なものでした。まぁ、その家の方からすればテレビが神仏と並ぶ神聖なものなのかもしれませんが。いずれにしろ必要としない人にとっては床の間は単に無駄な空間なのです。これも世の流れとして受け止めなければならないのが現実です。ただし、伝統を継承する仕事に携わる私としては、本来の床の間の意味を一人でも多くの人に伝えていく使命があります!
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