成就院13世権少僧都亮正

2代木津得浅斎(とくせんさい)宗詮は文政5年(1822)播磨国高砂(兵庫県高砂市)の善立寺(ぜんりゅうじ)13代正厳(しょうごん・天保13年10月28日没、49歳)と妙厳(みょうごん・房枝)との間に生まれました。兄にのちに善立寺14世となる正隆(しょうりゅう)がいました。また、目黒(東京都)の成就院13世権少僧都亮正という叔父がいました。なお、得浅斎は何歳の時に初代松斎宗詮の養子になったのかは不明ですが、家元に入門しているのが天保6年(1835)1月12日で、この間に松斎の後継者として木津家に入家したものと考えられています。得浅斎が10歳から14歳までの間のことです。

成就院は、平安時代に慈覚大師円仁によって開創されました。円仁は、自作の薬師如来像を身に付けて唐に渡り、帰国の際に嵐に遭い、暴風雨を鎮めるためにその像を海神に捧げて難を逃れて無事に筑紫の港に帰り着きました。その後、諸国巡化のみぎりに肥前国松浦(長崎県松浦市)に赴いたとき、海中に投じた薬師如来像が蛸の上にのって浮かんでいるのを見て歓喜しました。そして東国を巡り目黒の地で松浦で見た蛸にのった薬師如来像を彫り、これを本尊として寺を建てたのが成就院で、その由来から「蛸薬師」と呼ばれています。境内には、江戸幕府3代将軍徳川家光の弟保科正之の生母お静の方が息子の将来を案じて奉納したお静地蔵が祀られています。