捨てる神あれば拾う神あり

最終更新: 2020年3月7日

 辞書に「捨てる神あれば拾う神ありとは見捨てられることがあっても、一方で助けてくれる人もいる。たとえ不運なことや困ったことがあっても、悲観することはないというたとえ。」とあります。  大正の頃、大徳寺の雲水の修行道場である僧堂は千家の菩提寺聚光院でした。当時の師家は武者小路千家12代愈好斎と木津家3代聿斎が参禅し、それぞれに斎号を与えた川島昭隠(槐安軒・霧隠軒)老師でした。  この舟花入の昭隠老子の箱書によると、聚光院本堂前の白杉で作った旨が記されています。単に歪んだ長さがおよそ15センチ、直径が6センチほどの節の部分の木っ端です。当然建材にもなりません。せいぜい風呂やおくどさんの薪に使うぐらいのものです。それでも見る目のある人が見れば立派な花入に変身します。床に掛けられてみなから頭を下げて拝見される立派な茶道具に。まさに捨てる神あれば拾う神ありです。








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石ひとつ

石ひとつ筆にも濡れて初時雨 武者小路千家11代家元一指斎が友禅染地露地絵に発句を書いています。 十徳を着た宗匠が正客で、次客と末客は裃を着用し腰に脇差をさした武士です。時雨が降っているのでそれぞれ露地笠をかざし下駄を履いて飛び石をすすんでいます。初時雨ということから炉開き、または口切の茶事に招かれたのでしょうか?よく見ると正客と次客の間の飛石があとから墨で書き加えられています。着賛された発句の「筆

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