明治村茶会

去る5月20・21両日にわたり愛知県犬山市の明治村において明治村茶会の薄茶席を担当しました。3年前に催される予定でしたが、新型コロナ禍により本年の開催となりました。

武者小路千家と木津家を紹介し、6月3日が旧の端午の節句ということに因む道具組で参会者いお茶を差し上げました。随縁斎若宗匠はじめ大徳寺徳禅寺・真珠庵和尚様はじめ多くのみなさんにご来席いただきました。また、地元名古屋の伊藤妙宣先生と社中、京都・大阪の社中の尽力により無事に終えることが出来ました。本当にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

なお、以下に木津家初代松斎宗詮の事績を簡単にご紹介します。

松斎は、文化2年(1805)29歳の時、雅楽伝播の目的で江戸に下向し、のちに松平不昧公の知遇を得、大崎下屋敷で公に茶の湯の薫陶を受け、公の薦めにより武者小路千家8代一啜斎に江戸で入門しました。同10年(1813)37歳で生まれ故郷の大坂に帰り、平瀬家の支援により新たに武者小路千家の茶家を立て、その際、餞別として公の自筆横物「寒松一色千年別」の墨蹟を拝領しました。その2年後に名古屋に赴き、材木商鈴木惣兵衛より材木を譲られ梶木町に家を建てています。56歳の時に紀州家に小納戸役として仕官し、10代藩主徳川治宝に仕えました。9代好々斎の没後、10代以心斎の後見となり、大徳寺435世大綱宗彦から松斎の号と自作の花入を贈られています。天保10年(1839)に営まれた利休居士二百五十年遠忌携わっています。晩年の75歳の時に一乗院尊融親王(後に還俗して久邇宮朝彦親王)の稽古をし、ご下命により御茶室「忘葭」の作庭に携わり御庭焼の仁清作になる掛絡香合と珠光好みになる菓子器十八公を拝領しています。そして安政2年(1855)に78歳で大坂梶木町で亡くなっています。


          会 記

                            時、五月二十・二十一両日

                            於、明治村学習院院長席


                   寄 付

床  聿斎画 月に時鳥図

香合 一乗院御庭焼 掛絡 一乗院宮尊応親王箱 松斎外箱  

   高天治部卿添状 松斎橘御殿に於いて宮より手ずから拝領         仁清造

炭斗 一啜斎好 菊置上 愈好斎箱                 市郎兵衛造

羽箒 鶴 聿斎箱  

釻  聿斎好 南鐐 大角豆 共箱             金長造

釜敷 直斎好 糸組 一指斎箱 明治五年内国博覧会の折天覧に浴す 平瀬家伝来

火箸 真伯好 梅鉢紋竹 

本 席

床  松平不昧公筆 横物 寒松一色千年別 松斎箱 松斎帰坂の折不昧公より拝領

  前に冠卓に侍帽子  

袋棚に一閑硯箱に板文庫、料紙

花入 大綱和尚作 竹 一重切 和歌漆書 松斎箱 黄梅院の竹をもって作る

   木津宗詮に松斎の号をおくりて

   涼しさを我が物にしてこの宿に絶えず聴くらん松風の音

 花  花菖蒲 蓬  

釜  芦屋 霰 真形 円窓松鶴地紋       

 風炉 唐銅獅子面                

 先  得浅斎好 一閑張 腰                     市郎兵衛造

水指 丹波焼 銘太箸 一啜斎箱 数々のごまめ膾のちりげ哉

 棚  一啜斎好 烏帽子                       市郎兵衛造 

茶器 宗全好 吉野絵棗 直斎在判 松斎箱                 左近造

 替  朝鮮焼 割蓋茶入 銘鴨緑江 愈好斎在判箱 聿斎同地より持帰る

茶碗 黒 銘京土産 直斎箱

 替  御深井 銘松の戸 知止斎箱

 々  仁清写 皐月絵 好々斎箱

 々  出雲焼 茂三刷毛目写

 々  琴浦焼 祥瑞写 愈好斎箱                     桐山造

茶杓 好々斎作 竹 銘長熨斗 共筒共箱 新席祝儀として好々斎より到来 

 蓋置 松斎手造 織部 在判箱 名府に於いて                   

 建水 唐銅 官休庵伝来形                        浄益造

菓子 松斎好 龍門の友                        京都鶴屋製

 器  珠光好 十八公 松斎一乗院尊応親王より拝領

 莨盆 以心斎好 独楽透 在判                      利斎造

 火入 唐津 塩笥 松斎箱 

 煙管 一指斎好 吉祥草彫                        浄益造

 莨入 春