時々勤払拭
神無月そのふに落る紅葉は
あさな夕なにはくへかりけり 松雲
大徳寺の松雲室の和歌短冊です。題の「時々勤払拭(時々に勤めて払拭せよ)」は、『六祖壇経』が出典で、五祖弘忍が自分の後継者を決める際に、弟子たちに対して悟りの心境を詩にして読めと 課題を与えた時、神秀が作った偈の一部です。
身は是れ菩提樹、心は明鏡の如し、時々に勤めて払拭し、塵埃を惹かしむ莫れ
本来の己は仏そのものなので、日々修行に勤め、心に煩悩という塵埃が付かないようにしなければならないという意味です。
それに対し、六祖慧能は、
菩提本樹無く、明鏡も亦台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん
の偈を作り、弘忍の印可を受けることになったとされています。
慧能は、菩提はもとより樹でなく、鏡もまた鏡でない、本来無一物であるのにどこに塵がつくことがあろうか。本来無一物であるから払ったり拭ったりすることもない、と喝破したのです。
紅葉も心も朝な夕なにつとめて掃き清める。紅葉はまだしも心を清めることはなかなか難しいことです。
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