• 木津宗詮

時々勤払拭(時々に勤めて払拭せよ)


 

 時々勤払拭 神無月園生に落る紅葉は 朝な夕なに掃くべかりけり 松雲


 大徳寺松雲室の詠草です。松雲室は大徳寺486世で、大徳寺派5代管長。石川県生。法諱は玄芳、道号は宗般、松雲は室号です。9歳の時に金沢高厳寺で出家しました。その後、各地の宗匠を叩門遊歴、明治13年のころに京都八幡の円福寺の伽山全楞(かさんぜんろう)に参禅し、のちに中原南天棒の印可を受けています。はじめ熊本の見性寺に住し、見性を姓とします。同31年に円福寺に転じ、松雲と号し、諸堂を改修、寺観を一新しました。同41年から大徳寺派管長を3期つとめ、大正11年(1922)に75歳で示寂しています。「布袋さん」の愛称で親しまれ、平素より書に親しみ、和歌も能くし、歌集『毒華集』を遺しています。 なお、師匠の伽山全楞も円福寺師家ののち大徳寺第482世、大徳寺派3世に就任しています。

 題の「時々勤払拭(時々に勤めて払拭せよ)」は、『六祖壇経』が出典で、五祖弘忍(ぐにん・こうにん)が自分の後継者を決める際に、弟子たちに対して悟りの心境を詩にして読めと 課題を与えた時、神秀(しんしゅう)が作った偈の一部です。


  身は是れ菩提樹   心は明鏡の如し   時々に勤めて払拭し   塵埃を惹かしむ莫れ


本来の己は仏そのものなので、日々修行に勤め、心に煩悩という塵埃が付かないようにしなければならないという意味です。  ちなみに、それに対し、六祖慧能は、


  菩提本樹無く   明鏡も亦台に非ず   本来無一物   何れの処にか塵埃を惹かん


の偈を作り、師弘忍の印可を受けることになったとされています。慧能は、菩提はもとより樹でなく、鏡もまた鏡でない、本来無一物であるのにどこに塵がつくことがあろうか。本来無一物であるから払ったり拭ったりすることもない、と喝破したののです。  紅葉もいよいよ終わりに近づき、樹々の葉が次から次に落ちてきます。掃けども掃けども落ち葉が積もります。そして私の心にも煩悩も限りなく積もります。








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