月岑宗印の四百年遠忌

大徳寺玉林院開祖で大徳寺142世月岑宗印の四百年遠忌に参列しました。同院は宮中の典医や豊臣徳川の待医も勤めた高名な医師であった曲直瀬正琳(まなせしょうりん)が創建されました。後に火災により焼失しますが、片桐且元によりまもなく再興されました。なお、本堂は大徳寺塔頭の本堂中では最も規模が大きい建物です。

大坂の豪商4代鴻池善右衛門(了瑛)が、鴻池家の先祖とされる山中鹿之助の位牌堂として南明庵、茶室蓑庵(さあん)・霞床席(かすみどこせき)を建立しています。南明庵の敷瓦は楽長入作の赤楽がはめ込まれています。蓑庵は如心斎宗左の好みの三畳中板台目でまことに見事なすさ壁の茶室です。霞床席は四畳半の茶室で、床の間の中央に違い棚を設け、壁と棚の間に富士山の絵の軸を掛け、違い棚を富士にかかる霞に見立てることから席名の由来になっています。かつて蓑庵と霞床席で茶事を催したことが大変良い修行になりました。