宗旦四天王のひとり杉木普斎筆になる正見先生との贈答歌です。花は加茂本阿弥と西王母、土佐みずきを宮永東山の青磁下蕪写しの花入に入れました。

杉木普斎は名を光敬、号に宗喜・直入庵・得失庵などがあります。家業の伊勢の御師を勤めつつ、宗旦について茶の湯を学び、宗旦没後はその子息である武者小路千家の一翁宗守に師事し、一翁から茶の湯の奥義である新台子の相伝を受けています。伊勢、それとも普斎が御師として出向いていた旅先で正見先生と出会ったのでしょう。その宿で手持ちぶさたな正見先生を慰めるために恋の歌を、夜のを更けるのを惜しんでやりとりをしたようです。正見先生はどのような人物か不明ですが、「先生」と敬称をつけていることから、普斎の師であるか、または敬意をもって接していましたのは間違いのないことです。また「華実人なみならぬ 」とあり、見た目もその中身も並々ならぬ学識・高徳の人であったのでしょう。なお、末尾の印は、扇形のものには「光敬」、丸いものには「普斎」の文字が刻まれています。
正見先生旅宿のつれ〻〻を いたういたハりたまひて 和歌の題を一つ二つ 紙のはしににしり付あたらよの ふくるを惜物したまふも、 流石華実人なミならぬを えもしらぬすしをはきいたし侍も 後見ゑくほならんと 思ふのみ 正見 待恋 ふけぬまの契りの末に おもハる〻待にかひある けふのこ宵ハ 光敬 かくて身のまつよの うさをなそらへは あかぬ別ハいのちにそしる 正見 逢恋 逢夜半もあかぬ日かすを むつことの恨ハすゑを 猶たのむなり 光敬 こひ〻〻てあふ夜嬉しき 涙にハいひつくすへき 言の葉もなし 仲春日 (印)

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