• 木津宗詮

初代松斎宗詮17 松斎と徳川治宝

最終更新: 2019年10月5日

天保8年(1837)、松斎は徳川治宝より、還暦の賀として紅裏の小袖を拝領し、賀の茶事を催している。他にも甲冑と脇差が紀州侯から拝領としている。

 松斎と紀州徳川家との関わりについての記録はほとんど残されていないが、間接的なものとして以下の事柄が確認できる。大徳寺の大綱宗彦だいこうそうげんの日記『空華室日記』の天保7年2月22日の記述によると、松斎が紀州侯から褒美をもらい、それに対し大綱が書いた高松公祐たかまつきんさちの詠草を祝いとして贈っている。また松斎が記した『利休二百五十年忌之節扣』には、天保10年(1839)9月上旬、松斎は和歌山に呼び出され褒美をもらい、9月19日に利休二百五十年忌に従事するため夜船で上京したと記してている。

 表千家社中で伊勢の大森勘平の他会記『諸家茶之記・炉之部一』に、10月4日に行われた松斎の口切初会茶事の記録がある。そして岩永文禎の『鐘奇斎日々雑記』の天保13年(1843)9月7日にもこれとほぼ同様の道具組の茶事に招かれた記録がある。この二つの茶事は一連のものと考えられ、岩永によると、初回が9月2日に催されたことがわかる。治宝から拝領した花入の披露を茶壺の口切という最もめでたい茶事で行っている。その花入は、尾張徳川家から贈られた竹を吸江斎きゅうこうさいが一重切とし「獅子」と命銘された十本の花入のひとつであったことがわかる。なおこの竹は尾張公が鷹狩りで用いた竹であった。後座ではこの花入で花所望が行われている。松斎にとって最高の栄誉の茶事のひとつであったと思われる。『鐘奇斎日々雑記』同月6日に松斎宅で好々斎の後室宗栄に文禎は会っている。宗栄も松斎の茶事に招かれたものと思われる。

 近江水口(滋賀県甲賀市)の門人山村十郎右衛門の『山村日記』の天保13年(1842)9月8日、山村十郎右衛門(じゅうろううえもん)と日野の中井源左衛門(げんざえもん)と佐々木友賢(ゆうけん)と三名で大坂の松斎宅を訪ねている。三名は金二百疋を土産として持参し、大坂の道具屋で松斎の門人である中西芳蔵(よしぞう)が同席し、掘宗逸(そういつ)の点前で一順薄茶を飲み、茶室を案内され、改めて得浅斎(とくせんさい)の点前で茶を飲んでいる。また徳川治宝に松斎が茶を点てた時、宗旦好みの竹の向付を用い、その控の分をそれぞれが記念にもらっている。一連の花入の披露の茶事は、松斎が西浜御殿で治宝に茶事で茶を献じた褒美として拝領したものであったことがわかる。


徳川治宝から拝領の甲冑

西浜御殿図(和歌山県立博物館蔵・文化遺産オンラインより)



西浜御殿跡(現和歌山県立工業高校・浅川組ホームページより)


徳川治宝に松斎が茶を点てた時に用いた宗旦好みの竹の向付


徳川治宝に松斎が茶を点てた時に用いた宗旦好みの竹の向付松斎書付


徳川治宝に松斎が茶を点てた時に用いた宗旦好みの竹の向付箱書


紀州一位大君江天保末之年 木津宗詮献茶之頃 宗旦好を以若山竹ニて造 相用ひ残竹ヲ以拙子写其後  我等も一ふて催尚又此地へ持 下り三木萬子へ譲なから再又 手ニ入喜悦致候独楽相用 可申哉トまてなり   慶応一三卯歳霜月  □契






大森勘平の他会記『諸家茶之記・炉之部一』

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