廻り花は、いつもの如くして、花を止めたる時、亭主花台を引きてすぐに小口を持ち出でて水を張る。尤、小口は右の手にて手を持ち、左を口の方へ添えるなり。その後、上客の花にて止めたるならば、二客より次礼して一人ずつ床の前へ行き花を見て仕舞い候。亭主が見て後、勝手口ヘ座り一礼して仕舞うなり。花生は置にても、二重
にても、篭にても何にても苦しからず候なり。
訳
廻り花は、いつもの通りにして、花を止める時には、亭主が花台
を引いてすぐに小口を持ち出でて水を張る。もっとも小口は右の手で小口の手を持ち、左を小口の口の方に添えるのである。その後、上客が花で止めたる場合は、二客は三脚に次礼して床の前に行き花を見、以下同様に順に一人ずつ床の前へ行に行って花を拝見して仕舞う。亭主は見たのち、勝手口に座り一礼して仕舞うのである。花入は置花入でも、竹二重切花入でも、篭花入でも、どのような花入であっても差し支えない。
廻り花
『宗守流茶事記』には、一啜斎時代の廻り花の具体的な所作の記述がある。これも以下に紹介する。
廻り花 昼に限るなり。炉、風炉とも同断。
一廻り花は、永き日茶事後、または格別に催してもよし。床掛物はすし、二重切向釘に掛けてよし。もっとも置筒も用ゆるなり。客着座して花台に花をたくさん組みして、花切小刀右の方へ置き、持ち出で、床の軸脇に置く。亭主末座に下がりて挨拶する。上客請いて次へ一礼するなり。一遍は段々に次礼あるなり。二遍目よりは礼に及ばず。それより上客立ちて床前へ直り、花台を右の方へ真直に下ろし、花を拵え、花生へ手際に入るべし。それより相客
そのままにて花を見るべし。二客目花生様、花台上客下ろしたるままにて、仕舞いて床へ上がるなり。二重切なれば上客上の重へ生けるなり。二客目下に生けて、三客上の重へ生けるによりて、上客へ花上げの一礼するなり。もっともこれも初め一段ばかり花上げの一礼である。二度目よりは礼に及ばずなり。花をそのままにて置きて、指添えるときは礼に及ばず。何人何遍にても同断。花少なければ、亭主盆抔にのせ持ち出でて、花台へ上げてもよし。最早相済み候えば、亭主花台引き、水次持ち出で水を張るなり。もっとも留花はまず上客宜し。ただし水次に茶巾のせて出る。花台閉目向うへする也
現行の廻り花との対比
基本的に廻り花の式方は同じである。ただし水を注ぐのに小口を用いている。直斎の言説を門人で宇治の詰師竹田紹清と西村宗純が記した『茶道聞書』にも、好々斎の伝書『官休録』も花に水を足すのに小口が用いられている。同書も花を入れたのちに花台を水屋に下げ、改めて小口に水巾ではなく、他の千家同様茶巾が添えられて持ち出され、そして花入に水を足していた。現在行われているようにあらかじめ花台に花と利休形の小刀と同じく利休形の花水次を仕組んで用いられないのが一般的であったようである。なお、『官休録』には「花水次利休形なり、仙叟好なとあり、是を用テモ不苦、。其上ニ水次ノ巾ナゾノセ置ナリ」とあり、利休形や仙叟好みの花水次も用いることがあったことがわかる。
現行のように、花入も二重切や三重切を釘に掛けて用いるのではなく、置花入であっても、篭であっても、どのような花入であってもよいとされていた。また二重切花入は、上客は上の窓に花を入れ、二客が下の窓に入れるというのが興味深い。『官休録』に、
二重切ノ花生ニ一重ニ花ヲ活ル時ハ、上ノ重ニ花ヲ活、下ニ明置吉、下ニ花ヲ活、上ヲ明
ケ置事不致。
現行とは逆で、上の窓に花を入れ、下には入れず、その逆はしないとしている。聿斎の『官休清規』には、織部や直斎は上の重に水を張り、下の重に花を入れたとある。そして一指斎から聿斎時代には好々斎同様、上に花を入れ、下に水を張るだけであったのである。その後、再び直斎時代のように上の重には水のみを張り、下の重に花を入れるようになり現在に至っている。このように二重切花入の使い方が、時代や家元好みにより変遷があったことがわかる。
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