今日は三重県鈴鹿市の椿大神社の稽古です。茶室の床に3代聿斎宗泉の紅梅画賛を掛けました。
みたらしの水やかをるとおもふまて 梅さかりなる枚岡の山
「枚岡の山」は、東大阪市の枚岡神社の梅林のことです。明治初年の神仏分離の際、境内にあった寺院を廃して跡地に梅樹を植えたのがはじまりです。現在、紅白あわせて400本の梅が3月中頃にかけて咲き誇ります。 生駒山の西麓に鎮座する河内国一之宮枚岡神社は中臣氏の祖神天児屋根命(あめのこやねのみこと)を主祭神し、 枚岡神社の御祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、中臣氏の祖神で、中臣鎌子が藤原鎌足を名乗ったことから藤原氏の祖神でもあります。奈良時代に鎌足の曾孫藤原永手が春日大社を創建した際、御祭神4柱のうち二柱を枚岡神社の天児屋根命、その妻神比売御神(ひめみかみ)の分霊を勧請したことから「元春日社」とも呼ばれています。 大正十年(1921)5月15日、聿斎は、枚岡神社が官幣大社に列して五十年を記念して斎行された官幣大社御列格五十年祭の奉祝献茶祭で、御祭神四柱に濃茶・薄茶をそれぞれ四服ずつ点てています。そして献茶終了後、社務所で拝服席、梅園で野点による副席ががもたれています。 当時の同社の社務日誌によると、
午前十時ヨリ大阪官休庵木津宗一氏ヨリ献茶、午後一時ヨリ社務所ニテ拝服、参拝者多数、梅園亭ニテ野立(点)アリ、拝服者多シ、午後五時余リ終了ス
なお、同日誌の3月23日に聿斎は献茶の打ち合わせと実地視察、道具の点検のために同社に赴いています。そして5月16日に聿斎は拝服席の道具の方付けに同社を訪れ、荷車で道具一式を大阪に運んでいます。 写真の折敷は、献茶祭当日の祭典で用いられた折敷のお下がり十五のうちの一つで、八寸でも干菓子器・炭斗にでも心のまま使えば良いとの旨が認められています。もともと白木であったのに透き漆を施し好み物としています。裏面の中央には「官幣枚岡神社」の焼印が押され、さすが戦前の国家管理下の官幣大社の折敷です。材も吟味され、とても丁寧な仕事が施されています。なお墨書きの「蔚林」とは五月の異称です。
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