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梵魚寺古印

 『107年の謎-プサン迫間房太郎別邸の調査記録-』を執筆するにあたり釜山東莱に調査に赴いた際、3代聿斎宗泉が明治45年(1912)、今から111年前の2度目の渡鮮の折に参拝した梵魚寺に訪ねました。

 梵魚寺は、新羅時代に創建された韓国の古刹です。寺のある金井山にとても大きい石があり、その石の上に大きくいつも水で満たされた黄金色の井戸があったそうです。そしてその井戸に一匹の魚が五色雲に乗って空から降りてきて井戸の中で遊んだことから、空の国の魚という意味を込めて、梵魚寺という寺名になったそうです。

 豊臣秀吉の文禄の役で梵魚寺は焼失し、のちに再建されたものが今日の建物です。特に「一柱門」と呼ばれる山門が他の寺院と違って独特なものです。一柱門の中央には「曹渓門」、左右にそれぞれ「金井山梵魚寺」と「禅刹大本山」と書かれた額が掲げられています。



 写真の軸は聿斎が梵魚寺の古印を押してもらい、当時の住職が「梵魚寺古印」と認めたものです。家では季節は決まっていませんがしばしば稽古でかけられる軸です。また、聿斎は同寺で古い大きな木鉢を譲られています。その縁には「長江梵魚寺」と書かれていて、同寺の什器であったもののようです。かつて伏見の御香宮神社の月釜で上梓にちなみに聿斎が携え帰った道具組で茶席を担当した時に煙草盆として使いました。

 そして平成20年(2008)に社中5名と家族で同寺に訪れ、家族以外の者6名がテンプルステイを体験しました。修行僧とまったく同じ日課で、9時就寝ですが、みんななかなか眠れず、持参の茶箱で盆点前で小茶会を催しました。月明かりが煌々と照らし、虫の音を聞きつつ涼風の吹く中でのまことに趣のある茶会でした。とても懐かしい思い出です。翌日は午前3時に起床し、朝課、坐禅、その後、住職がわたしたちのために居室で茶礼をしてくださいました。この軸はその時に住職が認めてくれたものです。



  戊子 釜山梵魚寺住持正如(花押・印)

    茶禅一如


 梵魚寺は聿斎にとってとても思いの深い寺でした。そしてわたしにとっても格別思い出深い寺でもあります。


   明治時代の開港当時の一柱門


   日韓併合後の大正時代の一柱門


   現在の一柱門

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