木津宗詮5 日前読了時間: 1分武者小路千家利休の孫の宗旦には4人の息子がいました。長男は閑翁宗拙、次男が一翁宗守、三男が江岑宗左、四男が仙叟宗室です。宗拙と宗守は宗旦と日安の子で、宗左と宗室は後妻の宗見の子です。一翁は若い頃に塗師の吉岡家に養子となり吉岡甚右衛門と名乗り、のち宗旦の意向で千氏に服して茶匠となります。高松松平家に茶頭として仕え、武者小路の地に茶室官休庵を構え、茶の湯三昧の晩年を送りました。私が修行した武者小路千家流の家元です。
利休の孫の宗旦には4人の息子がいました。長男は閑翁宗拙、次男が一翁宗守、三男が江岑宗左、四男が仙叟宗室です。宗拙と宗守は宗旦と日安の子で、宗左と宗室は後妻の宗見の子です。一翁は若い頃に塗師の吉岡家に養子となり吉岡甚右衛門と名乗り、のち宗旦の意向で千氏に服して茶匠となります。高松松平家に茶頭として仕え、武者小路の地に茶室官休庵を構え、茶の湯三昧の晩年を送りました。私が修行した武者小路千家流の家元です。
名水平安時代より名水として知られた佐女牛井は源氏の六条堀川邸にあったとされています。村田珠光がこのあたりに住み足利義政に佐女牛井の水を用いて献茶しました。その後も武野紹鴎や利休・織田有楽斎などの茶人に好まれ、天下一の名水と有名になりました。 戦時中、堀川通の強制疎開の際に撤去され、今は佐女牛井之跡の石標が立っています。