• 木津宗詮

武者小路千家の立礼卓 下

有隣斎

 昭和30年(1955)、十三代有隣斎は襲名披露記念として、愈好斎好みをもとに東京の某デパートの家具部門で寸法や材質を根本的に検討して新たな立礼卓を好んでいる。洋家具の素材を全体に用い、置く部屋の内装に応じて表張りの木材を自由に選べるようにしている。天板の間口はほぼ畳み幅である3尺(91㎝)、奥行きをその3分の2とした。また天板に茶碗を置くのにショックを和らげるためにフェルトを下敷きにし、その上に毛織りの布を張りブロンズの枠で止め、随時布を取り替えられるようにしている。天板の左端からも向こうからも11㎝のところに丸穴をくり抜き、直径30㎝の鉄の丸炉を落とし込みんでいる。そして高さ60㎝の曲物の輪をはめて高くすれば風炉の扱い、はずして直に丸炉を落とし込めば炉の扱いとして両用の点前ができるようにしている。また、天板の向う側と左側に高さ二〇㎝のブロンズ製の枠を取り付けて風炉先としている。同時に脇机と椅子も好んでいる。点前をするものの足が客から見えないように左右を板で囲い、その内側に床上25・5㎝のところに奥から48㎝幅の板をつけて替茶碗などが置けるようにし、その左側に幅18㎝、奥行き27㎝の建水を載せる板を引き出し式で取り付けている。

 畳の上の手前では、茶碗が膝より低い位置にあるが、普通の部屋ではこの高さでは上体が見えすぎて落ち着きが悪いことから、五九・五㎝という寸法だしている。また椅子も高めのものに浅くかけて点茶するのが機能的で姿も美しいということで、膝も腰も直角になる程度の高さのものとしている。ただし、点前をする人の体格に大小があるので高さを調節できるものとしている。点前をする人の姿が良く見え、より機能的なものとするために卓の高さや、高低を調節できる椅子を用いる工夫をしている。そして茶の点った茶碗を客に差し出すのに、立礼卓と同じ高さで42㎝×24㎝の広さの脇机も別に作っている。

 以上のように、有隣斎は身体機能と点前のしやすさ、見た目の美しさ、そして使用する部屋との取り合わせの美しさ等を特に大切に考えて好みの立礼卓を作っている。


不徹斎

 当代不徹斎は一瀬小兵衛の作になる青漆塗の立礼卓を、平成5年(1993)に好んでいる。これは茶室起風軒の立礼席のために造られたものである。これまでの丸炉をはめる形式とは異なり、天板の上に小振りな朝鮮風炉をのせ茶を点てるものである。茶碗を置く時のショックを和らげるように、天板は布張りの上に青漆が掛けられ、左側と向う側に一指斎好みに倣った桐木地の富士形風炉先がすえられている。卓のほか脇机と専用の椅子、また専用の朝鮮風炉も好んでいる。現在の住宅様式を考慮して、歴代のものに比べて小振りで軽量なものにしている。また実生活で立礼の茶の湯を広く普及させるため、新たにテキスト『立礼のすすめ』を執筆している。この『立礼のすすめ』では、身近な素材でこの寸法に準じて立礼卓を造ることもすすめている。この立礼卓は、不徹斎が創始した茶の湯と音楽のコラボレーションである「茶論さろんコンサート」の立礼席で毎回使用されていた。


随縁斎

 平成18年(2006)に家元後嗣随縁斎宗屋が桜製作所で好んでいる。本体は使いやすい小振りな寸法で、右側にステンレスの炉をはめ込み、電熱器も使用できるようになっている。点前は炉を向切とし、閉じると風炉をのせ、季節に応じて使い分けている。小間のような主客一体感を生み出すために、卓と同じ高さの客机を組み合わせ、広さや人数等に応じられるようにしている。流派を超え広く茶の湯を愛好する人に自由に楽しんでもらいたいとの思いから銘を「天遊卓」、このしつらいを「茶机」と命名している。


 利休の茶の湯は武者小路千家・表千家・裏千家の三千家、藪内家等により、四百年余にわたり歴代の宗匠たちにより連綿と継承されてきた。同時にそれはつねに古格を重んじながら、新しいものを吸収して時代に即したものであった。めまぐるしく変化する現在、これからも立礼の茶の湯は、利休の茶の湯の精神を守りつつ、その時代に応じた形で変化していくものと思われる。


有隣斎 立礼卓

不徹斎好 青漆塗立礼卓

随縁斎好 天遊卓



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