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執筆者の写真木津宗詮

茶席「寂庵」

 江戸時代初期の大坂の代表的豪商である淀屋は全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展する事に大きく寄与しました。米市以外にも様々な事業を手掛け莫大な財産を築き、その淀屋5代目淀屋辰五郎は豪奢な生活をし、ガラス天井をつくって金魚を放ち涼を楽しんだそうです。その驕奢な生活が町人の分限をこえたものとして闕所 (けっしょ) ・所払 (ところばらい) となりました。なお、闕所時に没収された財産は、金12万両、銀12万5千貫(小判に換算して約214万両)、北浜の家屋1万坪と土地2万坪、その他材木、船舶、多数の美術工芸品などという記録が有るそうです。また諸大名へ貸し付けていた金額は銀1億貫(現代の金額に換算しておよそ100兆円)にも上ったそうです。まさに驚くべき資産です。実際、闕所の諸大名に対する莫大な金額の貸し付けが本当の理由であろうとされているとのことです。ちなみに淀屋橋は淀屋が私財をもって架けた橋で今日もその名を留めています。  茶席「寂庵」は昭和4年に大阪の染料商山田市治郎が円福寺に寄進したものです。格天井は元辰五郎の船の天井です。まことに豪勢なものです。確かに当時の感覚からすれば町人としては分不相応とされたのもわかる気がします。

 現在、八幡の円福寺僧堂には前回ご紹介した3代聿斎宗泉好みになる「為楽軒・洋人禅窟」とこの「寂庵」の2席が大切に守られています。














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