建武3年(1336)5月25日、現在の暦でいうと7月4日に、楠公さんは700余騎を引き連れて、会下山に本陣を置いて足利尊氏の軍を迎え撃ちました。足利軍は35000で、6時間の合戦で、なんと敵軍に16度の突撃を行いました。
そしてこの地で弟の正季と刺し違えて最期を遂げたとされています。『太平記』によると、死に際し、楠公さんは正季に九界のうちどこに行くことを願うか問うと、正季は「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候へ」と答えたとあります。
その後、敵の足利尊氏は残された家族を気遣い楠公さんの首を故郷河内に送り返しています。いかに楠公さんが素晴らしい人であったかが伝わる逸話です。敵の大将でありながらこれほどの礼を尽くしていることからもわかります。
楠公さんは、まさに仁・智・勇の三つの徳を兼ね備えた古今東西の名将です。
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