• 木津宗詮

瀬田の唐橋

 瀬田の唐橋は宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋の一つです。瀬田の唐橋は、近江八景の一つ「セタの夕照」の舞台であり、古くは『日本書紀』に記され、京の都と東国を結ぶ交通の要衝であり、また都の防衛の重要地として、古来「唐橋を制する者は天下を制す」といわれました。壬申の乱では近江朝廷の大友皇子が大海人皇子に「瀬田橋の戦い」に敗れた古戦場です。その後も寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、昔から様々な戦乱の舞台となりました。




 「いそがばまわれ」の語源は瀬田の唐橋のことです。東から京都へ上るのに矢橋(やばせ)の港から大津へ船で渡るのが一番早いコースです。ただし比叡おろしの強風により遅れることがあり、瀬田まで南下して唐橋を渡るほうが確実だということから生まれた言葉です。

 久須美疎安の藤村庸軒が語った茶湯の逸話の聞書である『茶話指月集』に、利休が弟子達に瀬田の唐橋の擬宝珠の中に見事な形のものが2つあるが、見分けられるものはいないかと尋ねました。すると古田織部は急に席を立ち夕方になって戻ってきました。そして利休がどうしたのか尋ねると、織部は擬宝珠を見分けてみようと思い、早馬で瀬田に行った旨を語りました。そしてその擬宝珠は東と西のこれではないかとと答えました。利休をはじめ一座の者は織部の茶湯への執心の凄まじさに感心したという逸話が残されています。

 現在の擬宝珠は当時のものでなく、昭和54年に滋賀県により架け替えられた時に新たに作られたものです。




58回の閲覧
​お問合せ

一般財団法人卜深庵

  • Grey Twitter Icon
  • Grey Instagram Icon
  • Grey Facebook Icon

© 一般財団法人 卜深庵 All Rights Reserved.