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執筆者の写真木津宗詮

犬の伊勢参り

 ハインリッヒ・シュリーマンはドイツの考古学者で実業家で、ギリシア神話に登場する伝説の都市トロイアを発掘したことで有名です。幕末の慶応元年(1865)に日本を訪れ、『シュリーマン旅行記清国・日本』を記し、当時の日本と東アジアを描写しています。

日本の犬はとてもおとなしくて、吠えもせず道の真ん中に寝そべっている。われわれが近づいても、相変わらずそのままでいるので、犬を踏み殺さないよういつもよけて通らなければならない。(『シュリーマン旅行記清国・日本』)  シュリーマンは当時の日本の犬についてとてもおとなしく吠えることもなく道に寝そべっていると記しています。逆にヨーロッパや中国等の犬はそうでなかったようです。日本犬の特徴は素朴で忠実・勇敢といった性質です。その例に江戸時代、犬が伊勢参りをした記録が残されています。首に木札をつけ、路銀をぐるっと巻いて、主人に代わって代参しました。それを見た人々は仰天すると同時に感心し、犬の金を奪うことはありませんでした。また、銭を与えてやる者もいたそうです。伊勢参拝の人についていき宿に入ります。そして宿の者は首から餌代を取って餌を与えて心付けの銭を首な巻いてやります。そして翌朝再び伊勢に向かって歩んでいきます。犬の伊勢参りは全国的なブームになり、遠いところはなんと津軽と伊勢を往復したという記録もあるそうです。仁科邦男の『犬の伊勢参り」に、 最初に犬の伊勢参りが行われたのは、明和8年(1771)4月16日の昼頃のこと。突然、犬が手洗い場で水を飲んでから本宮の方へとやって来て、お宮の前の広場で平伏し拝礼する格好をしたのである。その場にいた神官たちにとって、これはまさに事件であった。犬の飼い主は山城国、久世郡槙の島に住む高田善兵衛という者。つまりこの犬は、飼い主の元を離れ、山城の国からはるばる伊勢までお参りにきたのである。 とその参拝の様子が記されています。  江戸時代、犬は首輪もなくリードでつながず放飼が一般的でした。そして個人の所有権がなく集落単位で所有される犬もいました。このような犬は「里犬」と呼ばれていました。明治以降、治安や街の美化、狂犬病予防といった名目で駆除され、また、個人所有の犬も首輪がつけられリードで繋がられるようになりました。  このように日本には犬を繋いで飼うという習慣がなかったことから、開国以降、外国から持ち込まれた洋犬と日本固有の犬種が交配することにより激減しました。そして犬の駆除により絶滅したものもあります。 開国・文明開花は日本犬にとってまさに受難の時代だったのです。そして次の受難は前の戦争でした。軍用犬として多くの日本犬が戦場に連れていかれました。戦争で死んだもの、終戦後、兵士は復員しましたが生き残った犬はそのままにされました。このような二度の大きな受難を経て生き残ったものの子孫が今日見られる日本犬です。  それにしても犬の伊勢参りには人と犬がなごやかに暮らしていた時代をみることができます。まことに微笑ましい逸話です。







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