木津宗詮2022年4月13日読了時間: 1分矢の根の門平清盛の異母弟で、一の谷の戦で嫡男の通盛や教経、業盛を亡くし、壇ノ浦で一門とともに入水し果てるのである平教盛(のりもり)の六波羅第の館門と伝えられています。柱や扉に戦乱の矢傷が残るところから「矢の根門」とも呼ばれています。現在は建仁寺の勅使門として、応仁の乱後に移築したと伝えられ、重要文化財の指定を受けています。様式的には鎌倉時代末頃の建築物だそうで、銅板葺切妻造の四脚門です。真偽のほどは定かではありませんが、古の平家の栄華、源平の合戦偲ぶことが出来ます。
平清盛の異母弟で、一の谷の戦で嫡男の通盛や教経、業盛を亡くし、壇ノ浦で一門とともに入水し果てるのである平教盛(のりもり)の六波羅第の館門と伝えられています。柱や扉に戦乱の矢傷が残るところから「矢の根門」とも呼ばれています。現在は建仁寺の勅使門として、応仁の乱後に移築したと伝えられ、重要文化財の指定を受けています。様式的には鎌倉時代末頃の建築物だそうで、銅板葺切妻造の四脚門です。真偽のほどは定かではありませんが、古の平家の栄華、源平の合戦偲ぶことが出来ます。
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