聖フランシスコ・ザビエル像 

 徳川家康によるキリシタン国外追放令を受け、マニラに退去したキリシタン大名高山右近の四百年(仏式)忌の年、すなわち6年前の9月に右近終焉の地マニラに友人と訪ねました。その後、その遺徳を偲ぶカトリック高槻教会で顕彰ミサに参加し、続いて茨木市千提寺の茨木市立キリシタン遺物資料館に行きました。当資料館は千提寺・下音羽地区のキリシタン遺物を公開するために、千提寺地区から土地の提供を受け、茨木市によって建設された施設です。

   茨木市立キリシタン遺物資料館


 この地域はかって高山右近の領地でキリシタン信徒が多数住居していました。禁教後も隠れキリシタンとしてこの山奥の地で密かにその信仰を守り続けた人々がいました。大正8年(1919)教誓寺住職でキリシタン研究家の藤波大超氏が千提寺でキリシタン墓碑を発見し、翌年には東藤次郎氏の母屋屋根裏の梁に括り付けていた「あかずの櫃」の中から「聖フランシスコ・ザビエル像」はじめ「マリア十五玄義図」・「木製キリスト磔刑像」等を見つけ出しました。その後も下音羽地区の大神家や原田家などからもキリシタン遺物が発見されました。


   東家