聿斎 朝鮮渋茶炮烙



聿斎は生涯に三度、茶室・住宅の設計建築のために朝鮮に赴いている。第一回が明治42年(1909)、迫間房太郎 (はざまふさたろう)の東莱(とんね)(釜山)の別邸の設計・建築であり、第二回が明治45年(1912)京城(けいじょう)(現、ソウル)、第三回が大正2年(1912)秋に朝鮮銀行副総裁の水町正(みずまちただし)の屋敷の設計建築のために京城に渡っている。

 この時、聿斎は曺徳宗(そうとくそう)の陶窯で渋茶灰器を99個作らせている。そしてその箱書を当時大徳寺僧堂師家の川島昭隠(かわしましょういん)(槐安軒(かいあんけん))が記し、その甲書きを聿斎がしている。これは大正4年(1915)4月22日に落慶した聚光院の本堂と茶室の改修の資金捻出のためであった。





11回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

石ひとつ

石ひとつ筆にも濡れて初時雨 武者小路千家11代家元一指斎が友禅染地露地絵に発句を書いています。 十徳を着た宗匠が正客で、次客と末客は裃を着用し腰に脇差をさした武士です。時雨が降っているのでそれぞれ露地笠をかざし下駄を履いて飛び石をすすんでいます。初時雨ということから炉開き、または口切の茶事に招かれたのでしょうか?よく見ると正客と次客の間の飛石があとから墨で書き加えられています。着賛された発句の「筆

六根