六月(みなづき)の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるも、あはれなり。
『徒然草』の一節です。六月のころ、貧しい家に夕顔が白く咲いて、蚊遣り火がくすぶっているのもしみじみとしている。
蚊遣火とはよもぎの葉やカヤ(榧)の木、杉や松の青葉などを火にくべて、蚊を追い払う煙のことです。蚊遣火を焚く習慣も、蚊取り線香の出現で消えてしまいました。大日本除虫菊株式会社(金長)のサイトによると、明治18年(1885)に創業者の上山英一郎が、アメリカから来訪したH・E・アモアより除虫菊(シロバナムシヨケギク)の種苗を手渡され、これを元に線香を製造しました。除虫菊には殺虫効果のある「ピレスロイド」が含まれています。除虫菊はもともとセルビアに自生し、14~15世紀頃にセルビアである女性が除虫菊の花束を部屋に飾っておいたところ、花が枯れた数日後に花の下に虫の死がいが散乱しているのに気づいてその効能が最初に見出されたのだそうです。17世紀~18世紀初頭頃にはアメリカに渡り虫除けの効能が詳しく分析されました。ちなみに除虫菊は可憐な白い花で、今日も「金鳥の渦巻」のレトロなパッケージデザインを飾っています。
明治23年(1890)、上山英一郎は世界初の棒状蚊取り線香を発明し発売しました。そして明治28年(1895)に英一郎夫人ゆきが渦巻型蚊取線香を着想して試作を開始したそうです。これが蚊取り線香(除虫線香)「金鳥香」の誕生です。ちなみに倉の中でとぐろを巻く蛇を見て驚き、夫の元に駆けつけ告げたのが発想の元になったとのことです。渦巻型にすると燃焼時間が長くなり、かつかさばらない利点があります。例えば、大日本除虫菊の製品では一巻きの長さが75センチ・重さ13グラムとなっており、約7時間連続使用できるように作られているとのことです。この時間設定は人間の睡眠時間に合わせているのだそうです。寝かせた状態で使うので立てて使う線香の形状よりも安全に取り扱えるようになりました。手作業での製造から機械生産に移行したことにより打ち抜き機で製造する際に表裏が判別できるようになりました。大日本除虫菊株式会社の蚊取り線香は「左巻き」で、他社のものは「右巻き」となっています。これは上山英一郎が決めて今日に至っているとのことです。
蚊取り線香は日本が世界に誇る発明品です。今日、中国、韓国はじめ、タイ、フィリピン、インドネシアなどの東南アジア、インド、オーストラリア、北米と南米諸国、ヨーロッパと北欧、アフリカの諸国に蚊取り線香は定着しています。特にデング熱、マラリアなど、蚊に媒介される危険な病気のある地域では大変重宝に用いられています。なお、日本の蚊取り線香は木粉が使用されていますが、タイではココナッツなどを使用しているそうです。また薬剤抵抗性のあるデング熱を媒介するシマ蚊用の蚊取り線香が開発されているとのことです。ちなみに数年前に東京の代々木公園で蚊に刺されて100名余りのデング熱患者が発生しました。私の知人もデング熱に感染し、高熱、頭痛、筋肉痛、そして身体中に発疹ができかつて経験のない苦しみを味わったと言っていました。
現在、電子蚊取の普及により、蚊取り線香の役割がどんどん縮小しています。蚊取り線香といえば万古焼の豚をかたどった「蚊取豚」でしたが、その姿もあまり見かけなくなりました。徐々にこれからの夏の風物詩も「電子蚊取」に取って代わられていくのでしょう。
子どものころ、わたしの家の蚊取器は苫屋をかたどったものでした。屋根の妻からほのかに煙が出ていました。あの何ともいえない煙の臭いが懐かしいです。
さて蚊遣火ですが、実際のところ私はみたことはありません。かつて故冷泉布美子先生は子どものころに燻した煙で蚊を追い払うためによもぎの葉やカヤ(榧)の木、杉や松の青葉などを火にくべるのを体験したそうです。しみじみしているなんてものではなく、とても煙たかったと言っていました。
本居宣長が扇面に認めた詠草「蚊遣火」です。
吹き入るゝ軒の烟のいぶせさに
風もやつるゝ賎が蚊遣火
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