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執筆者の写真木津宗詮

踏水如地(水を踏むのに地の如く)



  踏水   如地    (印)


 近衛文麿の横物「踏水如地」です。出典は、沢庵宗彭(たくあんそうほう)が剣法と禅法の一致(剣禅一致)についての執筆した『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』です。


  踏水如地、踏地如水、若得此自由、尽大地不奈他、悉絶同侣    水を踏むに地の如く、地を踏むに水の如し、若(も)しこの自由を得れば、尽(こと

   ごと)く大地人如何(いかん)ともせず、悉く同侶(どうりょ)を絶す


愚かなものは、水の上を歩いて地の上を歩くようだとすれば、地面の上を歩いていても落ちてしまうでしょう。地の上を歩くのに水の上のようなら、水を踏んでも歩いていけると思うかもしれません。地であるとか水であるとか、そんなことをすっかり忘れることのできた人だけが、初めてこの道理を自分のものにすることができるのです。このように自由自在に振る舞うことのできる境地に到達した兵法者に対しては、総ての人々が集まって、何とかしようとしても、どうにもならない。本性を明確に知った人でなければこのことはわからないといっているのです。そんな境地に至った人はかつてどれほどいたことでしょうか。

 日本古来の泳ぎ方を「日本泳法」とか「古式泳法」と呼ばれます。これらの呼称は明治以降のものであり、通常は「水術」「水練」「踏水術」「游泳術」「泅水術」等が本来の名称です。甲冑を着用したままの着衣水泳や、水中での格闘技術や立ち泳ぎの体制での火縄銃の射撃など、武術としての水中での戦闘や護身のための泳ぎです。かつては武士のたしなみとして重んじられ、いわゆる武術のひとつでした。江戸時代に発展し多くの流派が生まれています。流派として「山内流」や「岩倉流」・「小池流」・「小堀流踏水術」等があります。なお、技術的にはシンクロナイズドスイミングと共通するものがあり、日本にシンクロナイズドスイミングを導入したのもその共通性に注目した日本泳法の団体であす。  そうした流派のひとつ「小堀流踏水術」は、享保年間、熊本藩士小堀長順(ちょうじゅん)の創始する流派です。長順は実父村岡伊太夫に泳ぎを習い、宝暦6年(1756)日本最古の水泳書「踏水訣(とうすいけつ)」などをかき、「小堀流踏水術」を開いています。また養父の肥後古流小堀家2代長斎に茶法をまなび、3代を継ぎ、熊本藩の茶道方もをつとめています。 武道に秀で、一流を起こした茶人です。なお、他に水術に秀でていた茶人として伊勢田丸藩の家老で、致仕後、茶の湯に専念した金森得水も「小池流水術」にすぐれ、自らも「金森流水術」の祖となっています。  現在、「小堀流踏水術」はその発祥地である熊本をはじめ、学習院・京都・長崎に活動拠点があります。「小堀流踏水術」は平体と立体の泳ぎからなり、横体の泳ぎはありません。立体は踏み足による強力な立ち泳ぎが特徴で、水中で腰掛けるように膝を曲げ、上体を起こし、交互に水を踏むような動作を行います。水上からは両足をスクリューのように回転させているように見えるのが特徴だそうです。基本的に、「小堀流踏水術」の立游を用いれば、陸上で出来ることは水中でも出来るため、「式泳(演武)」で演じられる泳ぎは無数にあり、 甲冑御前游や水書・水剣・水銃・水弓・瓜剥き・酒呑游等があります。ちなみに、学習院名物の「赤ふん」も、この「小堀流踏水術」の伝統によるそうです。京都の「小堀流踏水術」は、京都踏水会が明治30年(1897)に「小堀流踏水術」を採用したことによります。

 

  https://trendtube.wdeco.jp/playlist/?query=日本泳法





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