道明寺糒(どうみょうじほしい)

道明寺糒とは、もちごめを二日間水につけて吸水したのち、水を切り蒸しあげて屋内で十日程乾燥し、のち20日程天日に干してから石臼にかけて荒く砕いて篩で粒を揃えて製造した干し飯・糒(ほしいい・ほしい)としたものです。何年たっても品質が変わらず、変色もしない保存食です。昔は、軍糧や旅の携帯食でしたが、今では「道明寺粉」として、和菓子材料にもっぱら用いられています。なお、関東の桜餅は、小麦粉の生地で餡をまきますが、京都をはじめとする関西の桜餅は、この道明寺粉を使っています。



名前のいわれは菅原道真公の伯母覚寿尼が河内の道明寺(大阪市藤井寺市)に住んでいて、道真公が築紫に左遷されたのち、毎日、覚寿尼が九州に向ってお供えしたご飯のおさがりを分け与え、これをいただくと病気が治るということが評判となりました。そしてこれを求める多くの希望者のためにあらかじめ乾燥、貯蔵するようになったのが道明寺糒のはじまりとのことです。


江戸時代には禁裏や将軍家に献納したのち、諸侯の求めに応じて少量づつわかつていました。明治以後は一般民間にも販売するようになり、今日に至っています。



和紙の袋の上の「ほしいひ」の文字は豊臣秀吉の文字になるものです。そして明治22年(1889)、フランス革命100周年となる年に開催された第4回国際博覧会であるパリ万国博覧会にも出品されて金牌を受けています。



今年96歳になる道明寺住職六條照瑞御前様によると、戦前は五、六人の尼僧が天気のもっとも安定している5月にこれを製造し、和紙で作った袋に一定量を棒でカチカチに詰めて袋の口を元結で縛る作業をしていたそうです。「今となってはその当時この作業をしていたのは私一人になってしまった」とのことです。今は若い尼僧が引き継いで袋詰めをしています。


なお、以前、日本髪を結う人が少なくなり元結が手に入らなくなったことがあったそうで、故人になった先代住職の弟子の老尼が必死になって大阪中を元結を探し回り、ようやく両国で相撲取りが使う元結を手に入れて袋詰めをしということを別の尼僧からうかがいました。

頭を剃った尼僧が元結を大阪中を探し回っている光景を目に浮かべて思わず吹き出してしまいました。

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前出の通り、松斎(歓深院降龍)が安政2年(1855)の元旦に亡くなり、2月5日に得浅斎は喪主として本葬を勤めている(『鐘奇斎日々雑記』)。この時、得浅斎は36歳の働き盛りであった。同十二日には恒例の利休忌を卜深庵で勤めている。得浅斎は喪中にも関わらず、流祖利休の追善の茶会を催している。 そしてこの時期の得浅斎は前後して多くの不幸に見舞われている。同年3月2日には義母の柳(教深院貞寿)が松斎の後を追