大坂道修町四丁目で外科医を開業していた岩永文禎は 鐘奇斎と号し、初代松斎宗詮の茶の湯の門人でもありました。『鐘奇斎日々雑記』は、文禎が天保13年(1842)から慶応2年(1866)の死ぬ直前までの20余年にわたり記した備忘日誌です。その中には個人的動静はじめ、家族や交友関係、職業上の記述・災害・芸能・噂話し等さまざまなことが認められています。また松斎に関する多くの記録も残されています。
松斎が自宅で毎月決められた日に「釜日」と称して茶会を催していたことや点初や、嘉永4年(1851)11月6日に、2代得浅斎宗詮が亭主となり父松斎の全快祝いの茶事を催したことが記されています。
六日 晴 俄正午茶事 一方庵ニて
宗隆亭主宗詮全快の茶事、拙・古林・藤井・備竹
床 千道安文
釜 天猫 アラレ
香合 呉州 八角 蟹の画
炭斗 皮 但フルシ
灰入 □□
花生 一重 吸江斎 銘鶴
水指 真伯手造 ヒヨウタン形
茶入 利休形小棗 普斎判
袋 とんね広東
茶碗 古唐津 (絵)
茶杓 僖首座 共筒
薄茶入 宗安好茶桶 蔦の木 吸江箱
棗の内金箔
八曲□ 此余□は道安形 □合十出来
会席 仙叟溜不切折敷 面通椀
原叟兜皿 了入
向 鯛 幽安やき
合ミそ
汁 ヒクス白豆腐 コマチンヒかけ
坪 鴨身 湯皮 芋二ツ皮少 ウドメ
木地
八寸 カラスミ 報恩寺納豆
下総房州 サカラワン
吸物 こんふ のり
一閑フチ高 宗全好
菓子 皮ムキまん 内□□□
ヨモキアン アツキ
惣かし 小みとり
煙草盆 一閑ツルベ
火入 九朗 瀬戸写
引続薄茶乞
茶席は門人であった平瀬家の一方庵で突然に催した茶事であったようです。
可悦
昨秋より不快ニ有之を、 野田氏御治療にて当春 快復、悦ひのあまり 長閑なり 雪気もはれて 春の山 宗詮(花押)
と発句が認められています。この軸は全快の記念に認められたものです。
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