雪気もはれて

 可

 悦

昨秋より不快ニ有之を、

野田氏御治療にて当春

快復、悦ひのあまり 

 長閑なり

   雪気もはれて

       春の山

初代松斎宗詮の置字「可祝」です。このように最初に太字で書かれたものを「置字」といいます。置字「可祝」を補足する意味で細字で「長閑なり雪気もはれて春の山」の発句が書かれています。

嘉永3年(1850)の秋に松斎は病気になり、野田という医師の治療を受けました。翌年の春には回復し、その時の思いを認めたのがこの軸です。

 そして翌4年の11月6日に、息子の得浅斎が亭主となり松斎全快祝いの茶事が催したことが記されています。『鐘奇斎日々雑記』に記されています。『鐘奇斎日々雑記』は松斎の茶の湯の門人で道修町四丁目で開業していた医師岩永文禎が記した備忘日誌です。その内容は天保13年(1842)から慶応2年(1866)の死ぬ直前までの約20余年にわたり、個人的動静はじめ、家族や交友関係、職業上の記述・災害・芸能・噂話等さまざまなことが認められ、松斎に関する多くの記録も残しています。以下、当日の茶事の項です。

六日 晴 俄正午茶事 一方庵ニて