木津宗詮6月1日読了時間: 1分雲版(うんぱん)禅宗の寺院で庫裡(くり・台所)にかけ、坐禅をやめる(開静・かいじょう)時刻や食事の時刻を大衆(だいしゅ)に知らせるため打ち鳴らす器具に「雲版」というものがあります。高所に吊り下げて空の雲の形を模しており、その形から「 雲版と呼ばれています。雲は雨をもたらすことから鎮火・防火の象徴とだそうです。
禅宗の寺院で庫裡(くり・台所)にかけ、坐禅をやめる(開静・かいじょう)時刻や食事の時刻を大衆(だいしゅ)に知らせるため打ち鳴らす器具に「雲版」というものがあります。高所に吊り下げて空の雲の形を模しており、その形から「 雲版と呼ばれています。雲は雨をもたらすことから鎮火・防火の象徴とだそうです。
2代得浅斎宗詮6 家族の不幸前出の通り、松斎(歓深院降龍)が安政2年(1855)の元旦に亡くなり、2月5日に得浅斎は喪主として本葬を勤めている(『鐘奇斎日々雑記』)。この時、得浅斎は36歳の働き盛りであった。同十二日には恒例の利休忌を卜深庵で勤めている。得浅斎は喪中にも関わらず、流祖利休の追善の茶会を催している。 そしてこの時期の得浅斎は前後して多くの不幸に見舞われている。同年3月2日には義母の柳(教深院貞寿)が松斎の後を追