京都三条京阪駅にある高山彦九郎の像です。高山彦九郎は幕末の尊皇運動の先駆者でで、諸国を行脚して尊皇を説いて廻った「寛政の三奇人」の一人です。幕府の追及を受け、久留米で自刃し、のちに「尊王運動の先駆者」として幕末の志士たちに強い影響を与ました。
碑文によると、「京都に出入りする折には、この銅像の姿のように禁裏・御所に向かって拝礼した」ことによるそうです。つまり「ゴメンナサイ」という意味の土下座ではなく、礼儀正しく御所の天皇を拝んでいる姿です。
この像ができたのは戦前の昭和3年(1928)年。有志らが寄付を集め、高さ約2メートルの大銅像を建てました。そして昭和19年(1944)に金属供出で撤去され、現在の像は昭和36年(1961)に再建されたものです。戦前は教科書にも載っていた話しですが、価値観が一変した戦後は教科書から消え、忘れられてしまいました。
彦九郎の意思とは無関係に、落差の激しい評価を受け、今日も像はここ三条大橋のたもとに今も生き残り、彦九郎の功績はほとんど忘れ去られてしまいました。ところが、彦九郎像は若者の待ち合わせ場所として確固たる地位を築いています。そしてまことに失礼なことですが、京都では「土下座前」とか「土下座像前」と呼ばれて愛用されています。そんな扱いを受けている高山彦九郎はどのような気分でいるのてましょう?
大御門その方向きて橋の上に
頂(うなね)突きけむ真心たふと
橘曙覧
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